中国の民族政策と各民族の共同繁栄と発展

出所:http://jp.showchina.org | | 発表時間:2012-09-20

  目 次

  前書き

  一、統一した多民族国家と一体化した多元的な中華民族

  二、各民族の一律平等を堅持する

  三、全国各民族人民の大団結を強固にし、発展させる

  四、民族区域自治制度を堅持し完全なものにする

  五、少数民族と民族地区の経済社会の発展を加速させる

  六、少数民族文化を保護し発展させる

  七、少数民族幹部と人材の育成を強化する

  結びの言葉

  中華人民共和国国務院報道弁公室
2009年9月・北京

  前書き

  われわれが暮らす地球は、一つの民族的な世界である。今日世界には、約3000の民族が200以上の国と地域に分散しており、ほとんどの国が多民族から構成されている。

  中国は全国の各民族人民がともにつくった統一した多民族国家である。長い歴史的な過程の中で、中国の各民族人民は親しく付き合い、互いに依存し合い、交流・融合し、苦楽をともにし、中華民族の多元的で一体化された枠組みが形成され、祖国のうるわしい山河をともに開発し、国の発展と社会の進歩をいっしょに推し進めてきた。

  新中国成立以来、中国共産党と中国政府は各民族がともに団結奮闘し、ともに繁栄・発展するというテーマをしっかり把握し、自国の国情から出発することを堅持し、歴史的な経験を総括し、世界の他の国の有益なやり方を参考にし、民族問題を解決するための中国の特色ある正しい道を切り開き、民族平等や民族団結、民族区域自治、各民族の共同繁栄を基本内容とする民族政策を実行し、かなり整った民族政策体系を構築した。

  国情にかなった正しい民族政策は、中国各民族人民が心を一つにし、睦まじく付き合い、協力して困難をのりきることを促し、経済発展、政治安定、文化繁栄、社会調和のよい局面を切り開き、少数民族や民族地区、民族関係の様相に巨大な歴史的変化がもたらされた

  一、統一した多民族国家と一体化した多元的な中華民族

  1949年の中華人民共和国成立以来、識別されて中央政府に確認された中国の民族は56ある。すなわち、漢族、蒙古族、回族、チベット族、ウイグル族、ミャオ族、イー族、チワン族、プイ族、朝鮮族、満州族、トン族、ヤオ族、ペー族、トゥチャ族、ハニ族、カザフ族、タイ族、リー族、リス族、ワ族、ショオ族、カオシャン族、ラフ族、スイ族、トンシャン族、ナシ族、チンポー族、キルギス族、トゥー族、ダフール族、ムーラオ族、チャン族、プーラン族、サラール族、マオナン族、コーラオ族、シボ族、アチャン族、プミ族、タジク族、ヌー族、ウズベク族、ロシア族、エヴェンキ族、トーアン族、パウナン族、ユーグ族、キン族、タタール族、トールン族、オロチョン族、ホジェン族、メンバ族、ロッバ族、ジノー族である。そのうち、漢族の人口が圧倒的多数を占め、その他の55民族の人口は比較的少ないため、習慣的に「少数民族」と呼ばれている。

 

  60年来、中国の少数民族人口は持続的に増加し、全国の人口総数に占める割合も上昇傾向にある。現在まで行われた5回の国勢調査によれば、少数民族人口は1953年に3532万人で人口総数の6.06%、1964年に4002万人で5.76%、1982年に6730万人で6.68%、1990年に9120万人で8.04%、2000年に1億643万人で8.41%を占めている。各少数民族の人口には大きな格差がある。例えば、チワン族は1700万人で、ホジェン族はわずか4000余人である。

  中国各民族の人口分布は「大散居、小集居、交錯雑居」する特徴を呈している。漢族地区に集居する少数民族もいれば、民族地区に居住する漢族もおり、互いに交錯して居住している。多くの少数民族は1カ所または数カ所の集中居住区があるが、同時に全国各地に分散して居住している。西南と西北は少数民族が最も集中して分布する2つの区域である。西部の12省・自治区・直轄市に全国の少数民族人口の約70%を占める少数民族が住み、辺境の9省・自治区に全国の約60%を占める少数民族が住んでいる。中国の経済社会の発展に伴い、少数民族人口の分布範囲はいちだんと拡大し、現在、全国の分散居住地区の少数民族人口は3000万人を超えている。

  中国の少数民族の大部分の集中居住区は土地が広く人口が少なく、資源が豊かである。民族地区の草原面積、森林や水力資源の埋蔵量、天然ガスなどの基本貯蔵量は、いずれも全国の半分を超えるかそれに近い。全国の2万2000キロ以上に及ぶ陸上国境線のうち、1万9000キロは民族地区にある。全国の国家クラス自然保護区面積は85%以上が民族地区にあり、国の重要な生態障壁となっている。

  中国の各民族の起源と発展には本土性、多元性、多様性の特徴がある。4、5千年前に、中華の大地で華夏、東夷、南蛮、西戎、北狄の5大民族グループが形成された。各民族は発展しながら互いに受け入れ合い、絶え間ない移動や雑居、通婚、交流を経て、じょじょに融合しては一体化し、またたえず新たな民族が生まれた。その結果として、生き残って今日まで発展してきた民族もあれば、融合や戦争、生態環境の悪化、名称変更などの原因によって歴史の長い流れの中に消え去った民族もある。それらには、一時勢力が強大になった匈奴、月氏、鮮卑、柔然、吐谷渾、突厥、党項、契丹、塞種人などがある。

  中国の各民族の形成と発展の状況はそれぞれ違うが、総体的には統一した多民族国家に発展し、まとまって安定した中華民族になる方向をたどってきた。今日の中国の国土と版図は、中華大家庭の一員である各民族が長期にわたる歴史の発展の中でともに開発して形成されたものである。漢族の祖先は最も早く黄河流域と中原地区を、チベット族、チャン族は青海・チベット高原を、イー族、ペー族などは西南地区を、満州族、シボ族、エヴェンキ族、オロチョン族などは東北地区を、匈奴、突厥、蒙古族などは前後して蒙古草原を、リー族は最も早く海南島を開発し、台湾の少数民族の祖先は最も早く台湾島を開発している・・・

  早くも先秦時代に、中国の先祖の「天下」の意識と「大一統」(一統を尊ぶ)の理念が形成された。紀元前221年に秦朝は中国歴史上初めて大統一を実現し、全国に郡・県を設けて統治を行い、現在の広西、雲南など少数民族のかなり集中する区域がすべて管轄下に置かれた。漢朝(紀元前206~紀元220年)は統一した局面をいっそう拡大し、今の新疆地区に西域都護府を設置し新疆地区を含む広大な地区を管轄し、さらに17郡を増設し周辺の各民族を統轄し、今日の新疆各民族人民の祖先が住む地域を含む広大な国家をつくった。秦・漢は中国の統一した多民族国家の基本的枠組みを構築したのである。

  漢朝以降の歴代の中央政権は統一した多民族国家の枠組みを発展させ、強化した。唐朝(618~907年)は安西と北庭の2つの都護府を設けて現在の新疆を含む西域地区を管轄し、また道、府、州あるいは羈縻府、州を設けて中南と西南の各少数民族を管轄した。蒙古族の打ち立てた元朝(1206~1368年)は、南方の一部の少数民族が集まり住む府、州には土官(少数民族の首領が担当し世襲する地方行政長官)を置き、中央には宣政院を設置してチベットの事務を統轄し、チベットには3方面に宣慰司都元帥府を設置し、以後チベットは中央政府の効果的な行政管理下に置かれた。また澎湖列島と台湾には澎湖巡検司を設けて管理した。元朝の民族には現在の中国のほとんどの民族が含まれている。満州族が建てた清朝(1644~1911年)は、西域に伊犁将軍を設けるとともに新疆省を設置し、チベットには駐在大臣を置き、中央政府がダライ、パンチェンの2人の活仏を冊封するという歴史的制度を確立し、西南の一部の少数民族地区では土司制度の廃止を実施し、官吏を派遣して統一管理を行う「改土帰流」(少数民族の地方行政長官を中央政府により任命する)という政治改革を行い、最終的に現在の中国の版図を確定した。

  中国の歴史上では短期的な割拠の局面と局地的な分裂はあったが、国家統一が終始主流と方向である。漢族にしても少数民族にしても、いずれも自らが建てた中央政権を中華の正統とし、多民族国家の統一を最高の政治的目標とした。果てしなく広い国土は各民族がともに開拓したもので、歴史の長い輝かしい中華文化は各民族がともに発展させたものであり、統一した多民族国家は各民族がともに作り出したものである。

  統一した多民族国家が長期にわたり存続したことは、各民族間の経済や政治、文化の交流を大いに促進し、各民族の中央政権に対する求心力、中華文化に対するアイデンティティを深化させ、中華民族の団結力、生命力、創造力を強め、中華文明が統一性と多様性を形成するのを促した。歴史上、中国の人口の大部分を占める漢族は主として黄河、長江中下流の中原地区に集中して居住していた。ここは気候が温和で、土地が平らで肥えていて、農耕に適していた。一方、少数民族のほとんどは周辺地区に分布していた。これらの地区は草原や砂漠、森林、高原、高山、丘陵、湖などが多く、牧畜業、狩猟、漁業に適していた。周辺地区の少数民族と中原地区は「茶馬互市」(茶とウマの相互取引)、「絹馬互市」(絹とウマの相互取引)などを通じて、中原の農業、交通、軍事面でのウマに対する需要を満たすと同時に、少数民族の日常生活の需要を満たし、経済の相互補完と共同発展を推進した。少数民族の建てた遼、金、西夏、大理などの政権は、制度制定、国家管理などの上で明らかに漢族の中原政権の統治経験を吸収し、中原文化の多くの要素を受け入れた。塞北、西域の美しいメロディーや楽器はたえず中原に伝わり、中原の音楽の充実・発展に大きな影響をもたらした。各民族間の交流と融合が深まるにつれ、じょじょに交錯して雑居し、共生して互いに補完し合う局面が現れ、相互依存、共同発展の関係が日増しに固まった。

  1840年のアヘン戦争後の100余年間に、中国はたびたび西側列強に侵略され侮辱されたが、国家滅亡の危機が中国各民族の運命をより緊密に一つに結びつけた。国が列強に分割され、民族存亡の瀬戸際に立たされた時、各民族人民は奮い立って反抗し、ともに国難に赴いた。19世紀には新疆各民族人民は清朝の軍隊を支援して中央アジアのコーカンド汗国のヤクブ・ベクの侵入勢力を滅ぼし、イギリス、ロシアの侵略者が中国を分裂させる陰謀を打ち砕いた。チベットの軍隊と人民は1888年の隆吐山戦役と1904年の江孜(ギャンツェ)戦役で、イギリス侵略者に大きな打撃を与えた。1931年の「9・18」事件後、日本帝国主義の侵略に抵抗する抗日戦争で、中国各民族人民は一致して敵愾心を燃やし、血みどろになって戦った。そのうち、回民支隊、内蒙古大青山抗日遊撃隊など少数民族を主とする多くの抗日勢力が、抗戦の勝利のために不滅の貢献をした。各民族人民は外部からの侵略に反抗すると同時に、一握りの民族分裂分子が外部勢力の支持の下で「チベット独立」、「東トルキスタン」、偽「満州国」などを画策して起した分裂行為に対して、断固たる闘争を行い、国の統一と領土の保全を守った。

  近代の侵略や分裂に反対する偉大な闘争の中で、各民族が歴史的に構築した切り離すことができない関係はさらに強固になり、各民族が苦楽をともにする運命共同体の特徴はいっそう顕著になり、各民族人民は中国歴史の主人公としての責任感をいっそう燃え立たせ強めた。こうして中国各民族の共通の文化や心理的特徴がさらに成熟に向ったのである。今日、中華民族とは、すでに各民族がみな同一だと認める総称であり帰属となっている。

  二、各民族の一律平等を堅持する

  民族平等は、中国の民族政策の基礎である。

  民族平等を実行するのは中国の憲法の原則である。『中華人民共和国憲法』(以下は『憲法』と略称)は、「中華人民共和国の各民族は一律に平等である」と規定している。この原則の精神に基づき、『中華人民共和国民族区域自治法』(以下は『民族区域自治法』と略称)などの法律・法規は民族平等について具体的かつ明確な規定を制定した。

  中国では、各民族の一律平等には3つの意味がある。1、各民族は人口の多少や歴史、居住地域、経済発展の程度、言語文字、宗教信仰、風俗習慣を問わず、政治的地位が一律に平等である。2、各民族は政治、法律の面で平等であるだけでなく、経済や文化、社会生活などあらゆる分野でも平等である。3、各民族の公民は法律の前に一律に平等であり、同じ権利を享有し、同じ義務を負う。

  60年にわたるたゆまぬ努力を経て、中国は民族平等を保障する中国の特色ある法律規範体系をほぼ構築し、各民族の平等な権利が法律に基づき保障されている。

  ―人身の自由と人身の権利は侵害されない。憲法と法律の定めるところにより、国は人権を尊重し保障する。各民族公民の人身の自由は侵害を受けず、不法拘禁やその他の方法によって公民の人身の自由を不法に剥奪または制限することを禁止している。各民族公民の人格の尊厳を侵害せず、その名誉権、氏名権、肖像権などは法律で保護される。いかなる方法によっても公民を侮辱、誹謗、誣告し、陥れることを禁じている。新中国成立以前、四川などのイー族地区では約100万人が奴隷制度を存続させ、チベットや雲南のシーサンパンナなどの地区では約400万人が封建農奴制度をとどめていた。これら地区の少数民族大衆はほとんどが封建領主、大貴族、寺院または奴隷主に従属し、かってに売買されたり贈物にされ、人身の自由がなかった。例えば、旧チベットで、17世紀に作られ300年以上も通用していた『十三法典』と『十六法典』は、人を三等九級に厳格に区別していた。『法典』は、「上等上級人」の命の価値はその死体と同じ重さの黄金に等しく、「下等下級人」の命はわら縄一本の価値しかないと規定していたが、「下等人」はチベット総人口の95%以上を占めていた。新中国は人権を保障するために、20世紀50年代にこれら地区で民主改革を行い、奴隷制と封建農奴制を廃止した。昔の大量の農奴と奴隷は人身の自由を獲得し、新しい社会の主人公となった。

  ―法律の前に一律に平等である。中国では、すべての公民は憲法と法律が規定する権利を一律平等に享有しながら、憲法と法律が規定する義務を一律平等に履行する。公民の合法的権益が一律平等に保護され、違法行為や何人の犯罪も法律に基づき追及され、法律の適用において一律に平等であり、何人も法律を超える特権を持つことが許されない。少数民族が自民族の言語文字を使って訴訟を起す権利を保障するために、『中華人民共和国民事訴訟法』第11条は、「各民族公民は自民族の言語や文字を使用して民事訴訟を行う権利がある。少数民族の集中居住区または多民族の共同居住区では、人民法院は現地の民族に通用する言語や文字で審理を行い、法律文書を公布すべきである。人民法院は現地の民族に通用する言語や文字に通じない訴訟参加者に翻訳や通訳を提供すべきである」と規定している。『中華人民共和国刑事訴訟法』、『中華人民共和国行政訴訟法』、『中華人民共和国人民法院組織法』はいずれも類似規定を設けている。

 

  ―国家事務を管理する権利を平等に享有する。中国では、各少数民族と漢族は平等な地位に立って国家事務と地方事務の管理に参加する。『憲法』第34条は、「中華人民共和国の満18歳の公民は、民族、種族、性別、職業、出身家庭、宗教信仰、教育レベル、財産の状況、居住期限を区別せず、みな選挙権と被選挙権がある」と規定している。それのみならず、法律はさらに少数民族の政治的参加に特別な保障を与えている。全国人民代表大会と地方各クラス人民代表大会は、中国の各民族人民が国家権力を行使する機関である。『中華人民共和国全国人民代表大会と地方各クラス人民代表大会選挙法』は、同一の少数民族の人口が現地の総人口の15%にならない場合、少数民族の一人の代表が代表する人口数は現地の人民代表大会の一人の代表が代表する人口数よりある程度少なくてもよく、人口がきわめて少ない民族については少なくとも一人の代表がいるべきである、と規定している。各回の全国人民代表大会では、全国人民代表大会の代表総数に占める少数民族の代表数の比率が、いずれも同期の少数民族人口の全国総人口に占める比率を上回っている。第11期全国人民代表大会常務委員会委員161人のうち、少数民族は25人で、15.53%を占めている。

  ―宗教信仰の自由を平等に享有する。中国では、宗教信仰の自由とは、公民はだれでも宗教を信仰する自由があり、宗教を信仰しない自由もあり、この宗教を信仰する自由もあれば、別の宗教を信仰する自由もあり、かつて宗教を信仰していなかったが現在は信仰するという自由もあれば、かつて宗教を信仰していたが現在は信仰しないという自由もあることを意味する。『憲法』第36条は、「中華人民共和国の公民は宗教信仰の自由を享有する。いかなる国家機関、社会団体、個人も公民に宗教信仰または宗教の不信仰を強制してはならず、宗教を信仰する公民と信仰しない公民を差別してはならない」と規定している。憲法の原則を貫徹するために、国務院は『宗教事務条例』を公布した。中国では、少数民族の信者たちのすべての正常な宗教活動は法律によって保護され、宗教活動場所は各地に分布し、信者たちの宗教生活の需要をほぼ満たしている。例えば、新疆にはモスクが2万4300カ所あり、イスラム教教職者が2万8000人以上いる。チベットにはチベット仏教のさまざまな宗教活動場所が1700余カ所あり、寺院の僧侶と尼僧は4万6000人以上おり、仏教経典の学習、弁論、受戒、灌頂(チベット仏教の僧侶が密法の修行時に必ず行う宗教儀式で、チベット語で力を与えるという意味)、修行などの伝統的な宗教行事や寺院で経典を学び試験によって学位昇進をはかるなどの活動が正常に進められ、経幡(仏教の旗、タルチョ)や経文が刻まれたマニ堆および宗教行事を行う信者たちの姿をいたるところで目にすることができる。そのほか、中国政府は宗教団体を援助して宗教大学を設立し、少数民族の宗教教職者を育成し、また少数民族地区の一部の宗教活動場所の補修資金を支援し、生活に困窮する少数民族の宗教界の人びとに補助金を与えている。

  ―自民族の言語文字を使用し発展させる権利を享有する。『憲法』は、「各民族は自民族の言語文字を使用し発展させる自由を有する」と規定している。国の政治的生活では、全国人民代表大会や中国人民政治協商会議などの重要会議では、いずれも蒙古族、チベット族、ウイグル族、カザフ族、朝鮮族、イー族、チワン族などの文字による文書または言語の通訳を提供している。中国の人民幣の主要貨幣には漢字のほかに、蒙古族、チベット族、ウイグル族、チワン族などの4種の少数民族文字が表示されている。民族自治地方の自治機関が公務を執行する場合、現地に通用する1種あるいは何種類かの文字を使用している。同時に、少数民族の言語と文字は教育、報道・出版、放送・映画・テレビ、ネット・電信など諸分野においても広く用いられ、発展している。

  ―自民族の風俗習慣を保持または改革する自由を享有する。『憲法』は、各民族は「自らの風俗習慣を保持または改革する自由がある」と規定している。国は、少数民族の服飾や飲食、居住、婚姻、祝祭日、礼儀、葬儀などの風俗習慣を十分に尊重し、確実に保障している。例えば、清真食品(ブタ肉を用いないイスラム教信者の食品)を飲食する一部の少数民族の習慣を保障するため、北京や江蘇、新疆など16省(自治区、直轄市)および広州、昆明、成都など多くの中心都市が、専門の法律を制定して清真食品の供給や管理を保障している。そのほかの地方も総合的な法規の中に清真食品の管理基準を設けている。少数民族が自民族の祝日を楽しく過ごす権利を保障するため、国の法律の定めるところにより、民族自治地方の人民政府は関係する少数民族の習慣に照らして休日規則を制定することができ、少数民族の職員・労働者は自民族の重要な祝日や行事に参加する場合、国の関連規定により休みにすることができ、また給与は平常どおり支払われる。少数民族の風俗習慣を侵害することを防ぐため、国の法律・法規は報道、出版、文芸、学術研究などの関係部門と従事者に対して明確な要求を出している。刑法には「少数民族風俗習慣の不法侵害罪」が特別に設けられ、法律に基づき少数民族の風俗習慣を侵害する違法行為を追及する。

  経済社会発展などにおいて少数民族が漢族と比べ一定程度の格差があることに鑑み、中国の少数民族公民は憲法と法律が規定するすべての公民の権利を平等に享有するだけでなく、さらに法律に基づいて特別な権益保障を享有している。

  国はいかなる形態の民族差別や抑圧にも断固として反対している。中国では、民族の恨みや差別を扇動し、民族の平等団結を傷つけるいかなる言行もすべて違法である。少数民族は差別や抑圧、侮辱を受けたとき、司法機関に告訴する権利がある。中国は『あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約』(ICERD)に加盟しており、国際社会とともに条約の定める義務を真剣に履行し、民族と人種の差別がない世界を構築するためにたゆまず努力している。

  三、全国各民族人民の大団結を強固にし、発展させる

  民族団結は、中国が民族問題を処理する根本原則であり、中国の民族政策の中核となる内容でもある。

  中国のような多民族国家では、民族団結を守ることが特別かつ重要な意義を持っている。1、民族団結は国の統一の重要な保証である。民族団結を実現してはじめて、国の統一を守ることができる。民族団結がなければ、必然的に民族矛盾や衝突がたえず起こり、国家が四分五裂し、ばらばらの砂状態を招く。2、民族団結は社会安定の重要な前提である。民族団結を実現してはじめて、社会が安定して和やかになり、人民が安穏に暮らし、国が長期にわたって安定することができる。3、民族団結は諸々の社会事業が発展する重要な保障である。各民族は一致団結してこそ、力を集中して建設に取り組み、一意専念に発展を求め、経済社会を大幅に進歩させ、各民族人民の生活をたえず改善することができるのである。

  中国政府と中国人民は民族団結を高度に重視し、民族団結を中国人民全体の最高の利益と見なし、それが各民族の共同繁栄・共同発展を実現するための根本的な保証であると考えている。多年来、中国各民族人民は「漢族は少数民族から離れられず、少数民族は漢族から離れられず、各少数民族もお互いに離れられない」という思想意識をしっかり持っている。中国では、公民一人一人の命運と国家の命運は緊密に結ばれている。公民一人一人が国家の統一と全国の各民族の団結を守る義務をあくまで履行し、自ら進んで民族分裂にきっぱりと反対し、自ら進んで国の建設に力を貢献している。中国政府と中国人民は、各民族の団結・友愛が中華民族の生命や力、希望の依って立つところであると確信している。

  中国では、民族団結には漢族と少数民族間の団結、各少数民族間の団結、および同一少数民族内の団結がある。民族団結を守るには、統一した祖国の大家庭で、各民族が一律平等の基礎の上に立ち、互いに尊重・信頼し合い、学び合い、互助し、協力し合い、息を合わせ、運命をともにし、心を一つにし、睦まじく付き合い、協力して助け合い、調和のとれた発展を推進し、平等・団結・互助・調和のとれた民族関係をたえず強固にし、発展させ、ともに社会主義現代化建設に力を入れ、国の富強、民族の振興、人民の幸福を実現することが求められている。

  多年来、国はさまざまな措置をとって、民族団結に不利なあらゆる要素を取り除くことに力を入れ、民族団結を断固として維持し、各民族がともに団結奮闘し、繁栄発展することを実現するよう努力している。

  ―国は各少数民族の合法的権利と利益を保障している。国は法律や経済、行政などの手段をとり、歴史が取り残してきた民族の差別や民族のわだかまりを取り除くことに力を入れ、各民族の団結・発展を促している。国はいかなる民族に対する差別や抑圧も禁止し、いかなる民族団結を破壊し民族分裂を引き起こす行為も禁止している。民族団結を維持する実践の中で、国は大民族主義、主として大漢族主義に反対すると同時に、地方民族主義にも反対している。中国政府は何度も全国範囲で民族政策の実施状況について大がかりな検査を行い、民族政策の全面的な貫徹・実行を推進している。経済社会の発展につれ、中国の少数民族の流動はいちだんと頻繁になり、都市化、分散化の居住傾向がますます顕著になっている。都市と分散居住地区に住む少数民族の合法的権益を保障するため、国は『都市民族工作条例』、『民族郷行政工作条例』などの法律・法規を制定、施行し、サービスと管理を確実に強化し、彼らが生産を発展させ、生活を改善することを助けることに重点を置き、彼らの祝祭日、飲食、葬儀などにおける特殊な需要を満たしている。

  ―国は民族区域自治制度を堅持し、整備している。中国は自国の国情と実際から出発し、民族区域自治制度を実行している。民族区域自治制度は、国家の集中統一と少数民族集中居住地区の区域自治とを有機的に結びつけ、中国の民族問題を解決するための偉大な創造である。民族区域自治制度を実行することは、少数民族が主人公になることを保障し、各民族の平等・団結・互助・調和のとれた関係を強固にし、発展させる上で大きな役割を果たしている。多年来、国は民族自治地方が法律に基づいて自治権を行使することを十分に保証し、少数民族の合法的権益を確実に尊重し、保障している。

  ―国はあくまで少数民族と民族地区の経済社会発展を加速することを、中国の民族問題を解決するための根本的な方途としている。民族地区の困難や課題を解決するのは、結局のところ発展が決めるのである。多年来、国は戦略的見地から少数民族と民族地区の発展を重視し、各時期に少数民族と民族地区の発展の実情に合わせて仕事の方針を打ち出し、戦略的配置を行い、政策や資金、人材、技術など多方面から少数民族と民族地区の発展を支援している。国は終始各民族人民の生活レベルの向上をすべての仕事の根本的な出発点と立脚点とし、あらゆる方法を講じて発展を加速させ、発展という最も肝心なことをしっかりつかみ、各民族の共同繁栄・共同発展の実現に力を入れている。たゆまぬ努力を経て、少数民族と民族地区の人民大衆の生産・生活条件は著しく改善され、思想モラルや科学文化の素養、健康レベルが目に見えて向上した。

  ―国はたえず民族団結についての宣伝教育を強化している。国は民族団結教育を公民のモラル教育の全プロセス、社会主義精神文明建設の全プロセスに組み入れている。たゆむことなく各民族の幹部・大衆に対し民族理論、民族政策、民族法律・法規、民族知識に関する教育を行い、教育の焦点性と実効性が強化されることを重視している。大衆を教育するだけでなく、幹部の教育をさらに重視している。少数民族幹部を教育するだけでなく、漢族幹部の教育もさらに重要視している。一般幹部の教育だけでなく、指導幹部の教育にも力を注いでいる。国は青少年に対し民族団結教育を行うことをとくに重視し、民族大団結のすぐれた伝統を代々受け継がせるために民族団結教育が学校や授業で行われ、教材に取り入れられるよう求めている。2008年に国は『学校民族団結教育指導要綱(試行)』を公布施行した。2009年に国は民族団結教育を全国の小学校の考査、高校入試、大学入試および中等職業教育卒業試験のカテゴリーに組み入れた。国はマスメディア、出版業務従事者に対し関係トレーニングに力を入れ、彼らが民族政策、民族法律・法規、民族の基本知識を正確に理解し、積極的に宣伝し、民族団結と祖国統一をアピールする作品をより立派により多く発表するよう指導し、奨励している。同時に、出版物、放送・映画・テレビ作品・インターネットに対する管理の強化を重視し、民族感情を傷つけたり、民族団結を損ねる内容が現れないよう防止している。

  ―国は民族団結進歩の推進・表彰活動を積極的に行っている。1988年以来、国は前後して4回の全国民族団結進歩表彰大会を開催し、合計56民族の民族団結進歩模範4993を表彰した。そのうち模範組織が2474、模範者が2519人で、社会全体に幅広い影響を及ぼした。各クラス地方政府は「民族団結宣伝教育月間」などの方法を用いて民族団結進歩推進活動を展開し、民族団結進歩推進の表彰規則を制定、施行し、社会全体で手本となる人物や物事を宣伝し、正しい気風を発揚させ、民族団結を守ることは光栄であり、民族団結を損ねることは恥辱であるという社会気風を生み出している。例えば、新疆ウイグル自治区は毎年5月、内蒙古自治区は毎年9月、吉林省延辺朝鮮族自治州は毎年9月、貴州省黔東南ミャオ族・トン族自治州は毎年7月を「民族団結月間」に定めている。

  ―国は民族団結に影響を与える矛盾や問題を適切に処理している。国は団結、教育、誘導、矛盾やわだかまりの取り除きを主とする方針を堅持し、具体的問題を具体的に分析し、問題があればそれを解決し、事態の拡大と矛盾の激化を回避している。国は法律の尊厳を維持し、人民の利益を守るために、民族、宗教信仰のいかんに関わらず、不法犯罪を犯したならば、すべて法律に基づき処理している。ここ数年来、中央と地方の各クラス政府は民族団結に影響を与える問題を処理するための長期的に効果のあるメカニズムと緊急対策をつくり、民族団結に影響を及ぼすさまざまな矛盾・紛争や事件を迅速かつ適切に処理し、民族団結と社会の大局の安定を守っている。

  中国の民族問題は中国の内部事務である。中国政府は断固としていかなる外部勢力が「民族」、「宗教」、「人権」の看板を掲げて中国の民族問題に介入することにも反対し、それを阻止し、内外のさまざまなテロリズム勢力、分裂主義勢力、過激主義勢力の中国に対し行う浸透、破壊、転覆活動を厳重に警戒し、法律に基づきそれに打撃を与えている。歴史や現実が示しているように、民族が団結し仲がよくなれば、政治がうまくいき、人心が安定し、すべての事業が盛んになる。民族が衝突・紛争を抱えれば、社会は不安定になり、人民はひどい目にあうものである。

  四、民族区域自治制度を堅持し完全なものにする

  民族区域自治は、中国の民族問題を解決する基本政策であり、中国の基本政治制度の1つでもある。

  中国の民族区域自治とは、国の統一的指導の下、各少数民族が集中居住する地方が区域自治を実行し、自治機関を設立し、自治権を行使することを指す。

  中国の民族自治地方の設立は、地元の民族関係や経済発展などの条件に基づき、また歴史的状況を斟酌して確定したものである。現在、中国の民族自治地方は少数民族集中居住区の人口や区域面積によって、自治区、自治州、自治県の3クラスに分けられ、その行政的地位はそれぞれ省、区を設置している市、県に相当する。民族自治地方の人民代表大会と人民政府は自治機関であり、国の一級の地方政権機関でもあり、地元の実情に合わせて国の法律・政策を実行している。民族区域自治は国の統一的指導下の自治であり、各民族自治地方は国家と不可分の一部であり、各民族自治地方の自治機関はいずれも中央の指導に服従しなければならない。

  中国が民族区域自治を実行するのは、歴史を尊重し、国情にかない、民心に従う必然的な選択である。第一に歴史的な伝統から言えば、統一した多民族国家が長期にわたり存在することが、民族区域自治を実行する歴史的な根源である。第二に民族関係から言えば、中華民族の多元一体の枠組みの中で、各民族間の広範囲にわたる密接な関係が、民族区域自治を実行する経済・文化的基礎である。第三に民族分布から言えば、中国各民族の「大雑居、小集居」の状況、および自然、経済、文化の多様性と相互補完性が、民族区域自治を実行する現実的条件である。

  民族区域自治を実行することは次の点で有利である。国家の集中や統一を各民族の自主、平等に結びつけること、国の法律・政策を民族自治地方の実情、特殊な状況に結びつけること、国の富強・民主・文明・調和を各民族の団結・進歩・繁栄・発展に結びつけること、各民族人民が祖国を愛する感情を自らの民族を愛する感情に結びつけることなどである。統一した祖国の大家庭では、中国の各民族は睦まじく付き合い、心を合わせて協力し、調和的に発展しながら、それぞれが適所を得て、能力をいかし、長所を発揮している。

  多年来、中国政府は終始民族区域自治を堅持してきたが、時代とともに前進し民族区域自治を完全なものにし、著しい成果をあげた。

  民族自治地方があまねく確立された。早くも新中国成立前の1947年、中国は中国共産党の指導の下で最初の省クラスの民族自治地方―内蒙古自治区を設立した。中華人民共和国成立後、中国政府は憲法や法律の規定に基づき、少数民族が集中居住する地方に民族区域自治を実施し始めた。1955年10月に新疆ウイグル自治区、1958年3月には広西チワン族自治区、1958年10月には寧夏回族自治区、1965年9月にはチベット自治区が成立した。2008年末現在、全国には5自治区、30自治州、120自治県(旗)の合計155の民族自治地方が設立されている。2000年の第5回国勢調査によれば、55の少数民族のうち、44が自治地方を設立し、区域自治を実行する少数民族人口は少数民族総人口の71%を占め、民族自治地方の面積は全国土面積の64%を占めている。そのほか、中国は1100以上の民族郷を設立し、民族区域自治制度を補完している。

  民族区域自治に関する法律制度はちくじ整備されている。1949年の中国人民政治協商会議が採択した、臨時憲法としての役割を持つ『中国人民政治協商会議共同綱領』は、民族区域自治を新中国の基本政策の1つと定めている。1952年に中央人民政府が公布した『民族区域自治実施綱要』は、民族自治地方の設立、自治機関の構成、自治機関の自治権利など重要な事項に対し明確な規定を行っている。1954年の全国人民代表大会が採択した『憲法』は、国の根本法としてこの制度を確認し、同時にずっとこの制度の実行を堅持してきた。1984年、民族区域自治の歴史的経験を総括したうえで、第6期全国人民代表大会第2回会議は『民族区域自治法』を採択し、これにより中国の民族区域自治は政策、制度、法律の三位一体を実現した。『民族区域自治法』は憲法の定める民族区域自治制度を施行する基本的な法律であり、中央と民族自治地方の関係および民族自治地方の各民族間の関係を規範化し、その法的効力の及ぶ範囲は民族自治地方に限らず、全国各民族人民とすべての国家機関がこの法律を順守、実行しなければならない。2001年に社会主義市場経済体制が確立したという実情に基づき、全国人民代表大会常務委員会は『民族区域自治法』を改正した。2005年、国務院は『「中華人民共和国民族区域自治法」の実施に関する国務院の若干の規定』を公布し、上級人民政府が民族自治地方を支持し支援する職責を明確に規定した。

  民族自治地方は自治権を効果的に行使している。民族自治地方の自治機関とは自治区、自治州、自治県の人民代表大会であり人民政府である。民族自治地方の自治機関は法律に基づいて以下の権力を行使している。

  ―自民族、地元地域の内部事務を自主的に管理する。民族自治地方の各民族人民は憲法と法律が賦与する選挙権と被選挙権を行使し、人民代表大会代表を選出し、自治機関を構成し、自民族や地元地域の内部事務を管理する権利を行使している。現在、中国の155の民族自治地方の人民代表大会常務委員会には、いずれも区域自治を実行する民族の公民が担当する主任または副主任がいる。自治区主席、自治州州長、自治県県長はすべて区域自治を実行する民族の公民が担当している。同時に、民族自治地方の人民政府のその他のメンバーも、区域自治を実行する民族とそのほかの少数民族のメンバーが合理的に登用されている。自治機関に所属する部門の幹部も、同様に区域自治を実行する民族とその他の少数民族のメンバーを合理的に配置している。

  ―自治条例と単行条例を制定する権力を享有している。中国の『民族区域自治法』は、民族自治地方の人民代表大会は一般の地方国家権力機関の権力を享有する以外に、地元の民族の政治、経済、文化の特徴に基づき、自治条例と単行条例を制定する権利を有すると規定している。『中華人民共和国立法法』は、また自治条例と単行条例は地元の民族の特徴に基づき、法律と行政法規の規定に対し適当に融通を利かせることができると規定している。2008年末現在、民族自治地方は自治条例、単行条例、関連法律に対し合計637件の状況に応じた規定または補足規定を制定している。民族自治地方は地元の実情に合わせて、国が公布した婚姻法、相続法、選挙法、土地法、草原法など多くの法律に対し状況に応じた規定と補足規定を行っている。

  ―経済建設事業を自主的に計画、管理し、発展させている。民族自治地方の自治機関は法律の規定と地元の経済発展の実情に基づいて、生産関係と経済構造を合理的に調整し、地元の管轄を受ける企業・事業体を自主的に管理している。民族自治地方の自治機関は法律の定めるところにより地元の自然資源を管理、保護し、地方財政を管理する自治権がある。国の計画の導きの下で、民族自治地方の自治機関は地元の条件に合わせて、経済社会発展の計画や目標を自主的に立て、地方のインフラ建設プロジェクトを実施している。民族自治地方は国の規定に基づき、国務院の批准を経て、対外貿易の開放通商口を開くことができる。民族自治地方の自治機関は対外経済貿易活動で、国の優遇策を享受している。

  ―文化・社会面の諸事業を自主的に発展させている。民族自治地方の自治機関は国の教育方針により、法律の規定に基づき、地元の教育計画、さまざまな学校の設置や学制、学校運営形態、教学内容、学生募集方法を決定している。民族自治地方の自治機関は民族形態や民族特徴をそなえた文学、芸術、報道、出版、ラジオ放送、映画、テレビなどの民族文化産業を自主的に発展させている。民族自治地方の自治機関は、関係部門が民族の歴史・文化書籍を収集、整理、翻訳、出版し、名所旧跡や貴重な文化財、その他の重要な歴史文化遺産を保護することを組織、支持し、民族のすぐれた伝統文化を受け継ぎ、発展させている。

  五、少数民族と民族地区の経済社会の発展を加速させる

  各民族の共同繁栄と発展を堅持することは、中国の民族政策の根本的な立場である。

  『憲法』は「国はあらゆる努力を尽くして、全国各民族の共同繁栄を促進する」と規定している。『民族区域自治法』は一歩進んで上級国家機関が民族自治地方の発展加速を支持、援助することは法的義務であると明確に規定している。多年来、国は少数民族と民族地区の経済社会の発展加速を支えることを国家の発展・建設の重要な内容とし、政策や措置を引き続き公布し、少数民族と民族地区の発展を支持している。

  新中国の成立以前、ほとんどの少数民族地区の生産力レベルは非常に低く、経済社会の発展がかなり立ち後れ、インフラ施設の建設が非常に後れていた。当時の新疆には鉄道が全くなく、チベットには一本の自動車道路もなく、雲南山間部の一部の少数民族の外出や運送は駄馬キャラバン、象、谷間にかかった渡り綱に頼らなければならなかった。少数民族の大衆は主に在来の農業と牧畜業に従事し、一部の地区はまだ「焼畑農業」の原始的状態にあり、鉄器が広く使われずまだ木器、石器などを使用している地区があった。少数民族大衆の暮しは非常に苦しく、特に広大な山岳地帯や砂漠地区の少数民族は、ほとんど十分な衣食がなく、毎年のように数カ月間は食糧が尽き、飢えと寒さをしのぐために、木の実を食べ、蓑を着なければならなかった。少数民族の発展はひどく阻害され、絶滅に瀕する民族もあった。例えば新中国成立当初、ホジェン族は300人しかいなかった。新中国の少数民族と民族地区の経済社会の建設は、このような極端に立ち後れた基礎の上で発足したのである。

  中国共産党と中央政府は少数民族と民族地区がより速やかに発展することを終始支持し堅持してきた。新中国が成立した初期、中国政府は各民族人民の貧困脱却、生活向上を一連の根本的な任務とした。20世紀70年代末に改革開放政策を実施して以来、国は経済建設を中心とし、発展を第一の要務とし、活動の力強さを絶え間なく強化し、さまざまな重大な措置をとり入れ少数民族と民族地区の発展を加速させている。多年来、少数民族と民族地区は終始自力更生、刻苦奮闘の精神を発揚し、国の支持、発達した地区の支援と自身の努力を結び付けることを堅持し、国の優遇政策と自身の強みを発揮することを結び付け、奮い立って向上に努力し、自らの両手で美しい故郷を建設している。全国各民族人民の一致した団結と奮闘を経て、今日では少数民族と民族地区の経済社会はたえず新たな段階に飛躍し、経済的に貧しく、文化的に立ち後れている状態から徹底的に脱却し、人びとの生活は歴史上で最もよい時期に入っている。

  建設項目を優先的に実施し、たえず発展の基礎を固める

  新中国が成立した初期、国は民族地区のインフラ施設の建設を非常に重要な位置に据えた。1952年、中央政府は『少数民族地区の5カ年建設計画に関する若干の原則的な意見』を公布し、一部の民族地区で鉄道の建築、自動車幹線道路の建設、道路と橋の補修・補強、郵政・電報・電話・通信システムの確立を企画した。「一・五計画(第1次5カ年計画)」(1953~1957年)期間、国は新たに8本の鉄道幹線を敷設したが、そのうちの蘭新鉄道(蘭州―新疆ウルムチ)と包蘭鉄道(包頭―蘭州)などを含む5本は民族地区に建設されたかまたは民族地区と連結している。世界に名を馳せる康(川)蔵道路(四川・チベット)と青蔵道路(青海・チベット)は、ともに1954年に開通し運営を始めた。60年代には、成昆鉄道(成都―昆明)、湘黔鉄道(湖南省長沙―貴州省貴陽)、枝柳鉄道(湖北省枝城―広西チワン族自治区柳州)および滇蔵道路(雲南省下関市―チベット自治区マルカム県)などを建設した。1962年、蘭新鉄道のレールがウルムチまで伸び、新疆の鉄道がない歴史に終止符が打たれた。改革開放政策の実施後、南昆鉄道(南寧―昆明)、内昆鉄道(内江―昆明)、南疆鉄道、ラサ空港、蘭州・西寧・ラサの光ファイバープロジェクト、寧夏揚黄の灌漑プロジェクトなど一連の重点プロジェクトがちくじ建設され、民族地区の交通、通信などのインフラ施設と生産・生活条件が大いに改善された。

  国は優勢な資源の開発と現代工業の発展を少数民族と民族地区の発展加速を支持する重大な措置としている。「一・五」計画期間、国は156の大型建設項目中、40項目を民族地区に配置した。例えば内蒙古の包頭鉄鋼基地、新疆ウイグル自治区の克拉瑪依(カラマイ)油田、雲南の個旧錫業集団公司などがそれである。20世紀60年代に、国は沿海や内地の一連の大型工業企業を民族地区に移転させ、民族地区の現代工業の発展のために基礎を作った。改革開放政策の実施以来、国はまた民族地区で一連の重大プロジェクトを優先的に実施した。例えば新疆の塔里木 (タリム)油田、広西チワン族自治区の平果アルミ工場、青海のカリ肥料プロジェクト、内蒙古自治区の大型石炭発電基地などがそれである。それらによって民族地区は若干の重要な資源開発や高付加価値の加工産業基地を構築でき、資源優位に立脚し、自身の特色を備えた工業化の道を初歩的に歩み出している。

 

  2000年に西部大開発政策を実施して以来、国は少数民族と民族地区の発展加速を支持することを西部大開発の最も重要な任務としている。西部大開発の中で少数民族と民族地区に直接利益を受けさせるため、国は1、資源開発と高付加価値の加工項目を優先的に民族地区に実施する、2、天然資源を輸出する民族自治地方に一定の利益補償を行う、3、経済が比較的発達した地区の企業の民族地区への投資を誘導し奨励する、4、民族地区への財政投入と金融支持を拡大する、などの多くの優遇措置をとり、民族地区の経済発展と体力強化を後押ししている。現在、5つの自治区、30の自治州、120の自治県はすべて西部大開発の範囲に組み込まれるか西部大開発の優遇政策に照らし合わせ、それを受けている。西部大開発は民族地区で確実に目にでき、実感できる実益をもたらしている。2008年現在、西部大開発政策が実施されて以来の民族地区への固定資産投資は、累計7兆7899億元に達している。そのうち、2008年は1兆8453億元に達し、2000年より5倍増え、年平均23.7%伸びている。「西気東輸」(西部の天然ガスを東部に送る)、「西電東送」(西部の電力を東部に送る)などの一連の重点プロジェクト、一連の空港、高速道路、水利の中枢などのインフラ施設項目を建設した。2007年、青蔵鉄道(青海―チベット)のレールがラサまで敷設され、チベットで鉄道のない歴史に終止符が打たれた。青蔵鉄道の開通によってチベットの交通の立ち後れた状況が根本から変わり、チベットと内地間に経済的で、迅速、全天候対応、大能力の輸送通路が出現し、チベット経済の飛躍のための翼が付けられた。

  中国政府は次のように規定している。民族地区でインフラ施設の項目を実施する時、地方の負担する資金を適度に減免しなければならない。民族地区で資源を開発し、企業を起こす時、地元の利益、少数民族の生産と生活を配慮しなければならない。天然資源を輸出し、国の生態バランス、環境保全のために貢献した民族地区に対し、一定の利益補償を与えなければならない。1994年、国は中央と自治区の鉱産資源補償費に対する配分比率を4:6に調整し、その他の省・直轄市は5:5とした。2004年、国は生態建設と環境保全の補償メカニズムを確立し始めた。新疆の豊かな石油、天然ガス資源を開発する際は、地元の発展を引き上げることを重んじ、「西気東輸」という項目に限っても、毎年新疆に10余億の財政収入を増やしている。

  貧困問題を優先的に解決し、人民の生活の保障・改善に力を入れる

  多年来、国は一連の政策や措置をとって少数民族大衆の貧困問題を解決している。20世紀50年代、国は一部の貧困地区の少数民族大衆に無料治療を行い、貸付金や農具を支給し、公費学校を創設し、社会救済を行った。1983年、国務院は全国少数民族地区生産生活会議を開き、比較的短期間内に一部の大衆の衣食、住宅、飲用水問題を基本的に解決すると打ち出した。1990年から、国は「少数民族貧困地区衣食扶助基金」を設立し、141の少数民族貧困県を重点的に援助してきた。1994年には、国は「八七貧困扶助難関突破計画」を実施し始め、援助の基準を緩和することを通じて、優遇策を受ける少数民族貧困県を116県増やした。2001年からスタートした「中国農村貧困扶助開発要綱」は、また民族地区のために国家貧困扶助開発重点県を10県増やし、同時にチベット自治区も特殊な地域としてそっくり国の貧困扶助重点範囲に組み入れた。2005年、国は少数民族貧困村を優先的に「全村推進」プロジェクトの貧困扶助開発計画に組み入れた。2007年、国は『少数民族事業「十一・五」計画』を制定し、11項目の重点プロジェクトの建設計画を立てた。2009年、国は新たな貧困扶助基準を実施し、カバー範囲を拡大し、民族地区の農村低所得人口に対し貧困扶助政策を全面的に実施している。その他、国は救済の代わりに仕事を与える、移住による貧困扶助、遊牧民の定住化、農村危険・老朽住宅の改造、農村安全飲用水プロジェクトおよび都市・農村の最低生活保障制度などの実施を通じて、民族地区への精力的な支持を引き続き拡大している。たゆまぬ努力の結果、民族地区の貧困人口は1985年の4000余万人から2008年の770余万人まで減少した。

  歴史文化の相異や風俗習慣、宗教信仰の違いから、中国の少数民族の中には生産や生活面で特殊な需要がある。例えば、チベット族、蒙古族、ウイグル族、カザフ族などの牧民は馬鞍、乗馬靴、磚茶(辺境向け販売のレンガ状に固めた茶)を必要とする。イスラム教を信仰するイスラム教徒はイスラム教の食品などが欠かせない。これらの特殊な需要を尊重し満たすために、国は民族貿易と民族特殊需用品の生産供給に対する優遇政策を実施している。国は1963年から民族貿易を行う企業に対し、利潤留保、自己資金確保、価格補助金の「三つの配慮」政策をスタートさせた。1997年、国は新たな優遇政策を公布し、特定項目の低金利貸付を設け、一部企業の付加価値税を免除し、全国1760余社の少数民族特殊需用品の専門生産企業がその恩恵を受けるようになった。1991年、国は磚茶の国家備蓄制度を確立し、安定供給を保証している。2007年、国は少数民族特殊需用品生産企業の技術改善、技術普及、養成訓練などの補助に用いる「少数民族特殊需用品生産補助資金」を設立した。

  国は少数民族と民族地区の医療衛生事業への傾斜政策を重視し、少数民族と民族地区の衛生事業の急速な発展を促すため、優先的に実施している。これにより民族地区の都市部の医療レベルが大幅に向上し、農牧区の医療条件も明らかに改善され、少数民族大衆の受診難の問題を適切に緩和し、各民族人民の健康レベルが著しく高まっている。改革開放政策を実施して以来、国は民族地区で郷鎮衛生院(郷・鎮の病院)システムを配置し建設・改造し、県クラスの衛生防疫ステーションと婦人と小児向けの保健所を設立し、それにより民族地区の衛生サービスシステムは大幅に改善された。チベット自治区の80%以上の県には防疫ステーションが設立された。国は民族地区の風土病と伝染病の予防・治療の活動をたえず強化し、過去に流行した克山病(心筋を侵すカシンベック病)、結核症、大骨節病(関節を悪くするカシンベック病)などを基本的に抑えた。国は多様なルートを通じて、少数民族の衛生人材を養成し、絶え間なく少数民族の衛生関連の専門人材を増やしている。新疆ウイグル自治区の少数民族衛生技術者はすでに自治区全体の衛生技術者の3分の1まで占めている。

  牧畜区、辺境地区の建設を大いに支持し、つりあいのとれた発展を促す

  中国の主な牧畜区はいずれも民族地区にあり、牧畜業は蒙古族、チベット族、カザフ族など十数の少数民族のほとんどあるいは一部の人びとが世襲的に営み、生存や発展のよりどころとしてきた基礎産業である。1953年から、国は牧畜区に対し、農業区や都市部より低率の税収政策、牧場保護、定住誘導などの特殊な政策や措置を実施している。改革開放政策の実施以来、国は牧畜区に対し、家畜の各戸返還、牧草地の請負、自主経営という政策を実行している。1987年、国務院は全国牧畜区工作会議を開き、27県を牧畜区の国家貧困扶助重点県に確定し、牧畜区貧困扶助特定項目の低金利貸付を設立した。1999年、中国政府は、草原建設を農地基本建設と同等の重要な位置に置き、牧畜業と農業の協調的な発展を促進することを強調した。2005年、国は農・牧畜業税を全面的に廃止した。数十年のたゆまぬ努力を経て、民族地区は中国の重要な農・牧畜業産物の生産基地になった。内蒙古の牛乳の生産量は全国の5分の1を占め、全国で第1位にランクされている。新疆のウール、カシミヤの生産量は全国第2位に立っている。

  中国辺境のほとんどの地区は少数民族が集中居住する地区である。1979年、国は『辺境建設計画(草案)』を制定し、8年以内に、辺境建設資金400億元を拠出すると提議した。1992年、国は辺境地帯開放戦略を実行し、13の対外開放都市と241の1類開放通商口を確立し、14の辺境経済技術協力区を設置した。1996年、国務院は辺境貿易の発展と対外経済協力を促進する優遇政策を制定した。1999年、国は辺境地区を振興させ、辺境地区の人びとを豊かにする「興辺富民」行動を実施し始めた。2005年、国は『興辺富民行動「十一・五」計画』を制定し、実施した。2009年、国は「興辺富民行動」を全国のすべての辺境地区の県と辺境地区にある新疆生産建設兵団の農場にまで押し広めると決定した。現在までに、中央政府は「興辺富民」行動の特別支出金を累計14億4600万元投入し、2万余の項目を建設
している。

  多年来、国は民族地区の生態環境の保護と建設を重視している。特に西部大開発戦略を実施して以来、大河川上流の森林伐採禁止、退耕還林・還草(耕地を林・草原に戻す)、人や家畜の立ち入りを禁じて緑化する、救済の代わりに食糧を与えるなど一連の政策や措置を公布した。国は生態建設の補償問題を適切に解決し、退耕還林・還草の農牧民に対し食糧で補助を与え、森林の伐採禁止によって生じた財政収入減少の地方に財政補助を与えている。

  近年来、人口が比較的少なく、かつ生活もかなり困難な少数民族の集中居住地区に対し、中国政府は援助の程度を拡大している。2005年、国は『人口の比較的少ない民族を援助する発展計画(2005~2010年)』を制定し実施し、人口の比較的少ない民族が集中居住する640の村を重点的に援助している。現在までのところ、中央政府はすでに12億5300万元を投入している。

  財政支援の程度をたえず増大し、一対一の支援を積極的に組織する

  60年来、中央と地方の各クラス政府は民族地区への財政移転支出の程度をちくじ強化している。20世紀50年代から、国は民族地区で「統収統支(国家が集中的に財政収入と支出を管理すること)、不足の部分は補助する」、予備費の設定比率(一般地区より2ポイント高い)を引き上げるなどの優遇政策を実行している。1980年から1988年にかけて、中央財政は内蒙古、新疆ウイグル、広西チワン、寧夏回族、チベットなどの5自治区および雲南、貴州、青海など少数民族が比較的集中している省に対し、年間10%ずつ増加する定額補助制度を実施した。1994年、国は分税制改革を実施し、民族地区に対し政策的な財政移転支出を実行している。2000年から、関係規定に基づいて一般的な移転支出と特別移転支出を支給したほか、民族地区財政移転支出制度も設立した。統計によると、1978年から2008年までに中央財政が民族地区に支給した財政移転支出は累計2兆889億4000万元に達し、年平均15.6%伸びている。中でも2008年は4253億元であり、全国移転支出総額の23.8%を占めた。

  不完全な統計によると、民主改革を実施し始めた1959年から2008年までに、中央がチベットに与えた財政補助は累計2019億元に達し、年平均12%近くの伸びである。自治区が成立した1955年から2008年までに、中央が新疆に与えた財政補助は累計3752億200万元に達し、年平均11%伸び、中でも2008年は685億6000万元に達した。

  その他、国はまた各種の特別支出金を設け、特殊な困難の解決を援助し、民族地区の加速的な発展を支持している。例えば、1951年には少数民族教育発展補助費、1955年には民族地区補助費、1964年には民族自治地方予備資金、1977年には辺境建設事業補助費、1980年には経済後進地区発展支援資金、そして1992年には少数民族発展資金を設立した、などなどである。

  国は経済発達地区が経済の後進した民族地区に対し一対一の支援を行うよう力を入れて組織している。1979年、国は北京が内蒙古、河北が貴州、江蘇が広西と新疆、山東が青海、上海が雲南と寧夏、全国がチベットをそれぞれ支援することを確定した。1996年、国務院は東部の発達した15の省・直轄市が西部の11省(自治区、直轄市)を一対一で支援することを確定し、同時に中央の各部(省庁)・委員会が貧困地区を一対一で支援するよう働きかけた。チベットの発展を促進するため、中央は前後して4回もチベット工作座談会を開き、一対一の支援の程度をちくじ強化している。統計によると、1994年以来、国は前後して60以上の中央国家機関、全国18省(直轄市)と17の中央企業がチベットを一対一で支援する措置を取り、2008年末現在、累計111億2800万元のチベット対応支援資金が投入され、6050のチベットに対する一対一の支援プロジェクトが実施された。

  近年来、国は科学的発展観による指導を堅持し、少数民族と民族地区への援助程度をさらに強化している。2005年、中国共産党中央と国務院は『一歩進んで民族活動を強化し、少数民族と民族地区の経済社会の発展を加速することについての決定』を作った。これは発展こそが民族地区の困難と問題を解決するカギであることを明確にし、国の総合的な実力がたえず強まる中で、中央は少数民族と民族地区の経済社会の発展に対する扶助を引き続き強化すると強調し、民族区域自治制度にふさわしい政策的な移転支出制度をより完全なものにし、民族地区が現地の経済社会の発展促進を牽引する一連のインフラ施設プロジェクトを建設することを援助し、各民族大衆の生産や暮らしと密接に関わる公益的な中小型項目を優先的に実施した。2007年、国務院は『新疆の経済社会の発展をさらに促進させることに関する若干の意見』を打ち出した。これは新疆の経済社会の発展を加速させ、新疆各民族人民の生活レベルをさらに向上させることを求め、布石を打ったものである。2008年以来、国はまた寧夏、青海などの省、自治区のチベット族居住区、雲南辺境地区の経済社会の発展を促進する一連の優遇政策や措置をちくじ制定し公布し、投入を増やし、インフラ施設の建設を強化し、特色ある、強みを持った産業を発展させ、社会事業の発展を推し進め、少数民族と民族地区の経済社会の加速発展を促進している。

  中央政府の指導の下また全国各地の強力な支持の下、民族地区の各民族人民がしんぼうして努力し、団結奮闘したことにより、民族地区の経済社会は巨大な発展成果を上げ、人民の生活レベルが著しく高まった。2008年、民族地区の経済総量は1952年の57億9000万元から3兆626億2000万元にまで増え、不変価格で計算すると、92.5倍増えている。都市部住民1人当たりの可処分所得は1978年の307元から1万3170元に増え、30余倍増えた。農民・牧畜民1人当たりの純収入は1978年の138元から3389元に増え、19倍増えた。内蒙古自治区の経済の発展速度は7年連続で全国のトップであり、新疆ウイグル自治区の経済の発展速度は6年連続で2桁の成長を保っている。チベット自治区の総生産は395億9100万元に達し、1959年より65倍増えている。

 

  民族地区の経済社会の急速な発展は、各民族の繁栄と発展を促すためにしっかりした基礎を固めた。2000年の国勢調査によると、13少数民族の平均寿命は全国の71.40歳の平均レベルより高く、7少数民族は漢族の73.34歳を上回った。ホジェン族は新中国成立初期の300余人から4000余人に増えた。新疆は国際自然医学会から世界の4大長寿地区の1つに組み入れられ、人口100万当たりの百歳の高齢者人数が全国トップとなった。チベットの平均寿命は1951年の平和解放時の35.5歳から67歳に増え、80~99歳の高齢者が1万3581人、百歳以上の高齢者が62人おり、中国で平均して百歳の高齢者が最も多い省・自治区の1つになった。

  六、少数民族文化を保護し発展させる

  文化は民族の重要な特徴であり、民族の生命力、創造力、凝集力の重要な源でもある。少数民族文化は中華文化の重要な構成部分であり、中華民族共有の精神的な財産である。

  中国の『憲法』は、国が少数民族の特徴と需要に基づき、少数民族が各種の文化事業の発展を加速させることを支援すると規定している。中国政府は各種の政策・措置を通じて、少数民族文化を尊重し保護し、少数民族文化の伝承、発展、革新を支持し、各民族の文化交流を奨励し、少数民族文化事業を繁栄させ、発展させている。

  少数民族の言語文字を保護し発展させる

  20世紀50年代、国は少数民族の言語文字に対し調査を展開し、その状況をはっきりと理解した上で民族言語文字工作委員会と研究機構を設立し、民族文字の創造や改革を支援している。中国の55の少数民族のうち、回族、満州族が漢語を使用するほか、残りの53の民族はいずれも自民族の言語を持ち、22の民族が28種の文字を使用している。そのうち、チワン族、プイ族、ミャオ族などの12民族が使用する16種の文字は、政府の協力を得て創造、改革されたものである。現在、中国の少数民族中、自民族の言語を使用している人は6000万人に達し、少数民族総人口の60%以上を占め、自民族の文字を使用する人は3000万人に達している。民族自治地方には民族言語で放送するラジオ・テレビ局が154あり、中央と地方のラジオ放送局が毎日21種類の民族言語で放送している。民族出版社は1978年の17社から現在の38社に発展し、北京など14省(自治区、直轄市)に分布し、出版された少数民族文字は5種から26種にまで発展した。2008年に出版された少数民族文字による図書は5561種、6444万冊に達し、1978年に比べそれぞれ6.41倍と6.37倍増えている。内蒙古、新疆、チベットなどの民族自治区は、自民族の言語文字の使用と発展に関する規定や実施細則を制定し実行している。

  少数民族大衆に情報化時代の成果を共有させるために、国はさまざまな措置をとって、少数民族言語文字の規範化、基準化、情報処理作業の健全な発展に努めている。現在、国は蒙古、チベット、ウイグル(カザフ、キルギス)、朝鮮、イー、タイなどの少数民族文字の符号化文字集合、キーボード、フォントの国家基準を制定した。国際基準の最新版は、中国が提出した蒙古、チベット、ウイグル(カザフ、キルギス)、朝鮮、イー、タイなどの少数民族文字の符号化文字集合を正式に導入している。多種類の電子出版システムとオフィスオートメーションシステムを開発し、一部の少数民族文字のウェブサイトとウェブページも作られ、一部のソフトはすでにWindowsシステムで使用できる。

  少数民族の教育事業の発展を支持し、援助する

  中国政府は民族地区の教育事業の発展を一貫して重視している。新中国の成立後、会議を数回開き少数民族の教育事業を検討し配備した。『憲法』、『民族区域自治法』、『中華人民共和国義務教育法』のいずれもが、少数民族の教育事業の発展を支持し、援助する条項を明確に規定している。中央と地方各クラス政府の教育行政部門には専門の民族教育行政管理機構が設けられ、国の民族教育方針・政策の徹底的実行や特殊問題の処理検討に責任を負っている。中央と地方は民族教育特定補助経費を設置し、民族教育における民族や地域の特徴によって生じる経費支出の需要を解決している。特に改革開放政策の実施以来、民族地区では基礎教育、職業教育、大学教育および教師の育成、「双語(母語としての民族言語と漢語を指す)」教学、民族団結教育など各方面にわたりかつてないほどの発展をみた。2002年、国務院の作った『民族教育の改革深化と発展加速に関する決定』は、民族教育の改革と発展を加速させる方針、政策を明確にし、民族教育事業を発展させる手はずは全面的に整えられた。2005年に出された『国家教育事業発展「十一・五」計画要綱』は、区域を分けて計画し、分類して指導する原則を堅持することを明確に打ち出し、公共教育資源を農村、中西部、貧困地区、辺境地区、民族地区に傾斜させると強調している。

  近年来、国は貧困地区義務教育プロジェクト、農村小中学校の老朽・危険校舎改造プロジェクト、西部地区の「両基」(9年制義務教育を基本的に普及し、青壮年非識字者を基本的になくす)難関突破計画などのプロジェクトを相次ぎ実施し、中央財政は前後して290余億元を投入し、民族地区の教学条件が大幅に改善された。現在、全国に民族小学校が2万906校あり、民族中学・高校が3536校ある。その他の各レベル、各種類の学校もすべて少数民族の学生を募集し、また一定の優遇策を実行している。2004年、国は西部の農村地区から「両免一補」(雑費と教科書代の免除および寄宿生活費の補助)の政策を実施し始め、ほとんどの少数民族学生が恩恵を受けている。2006年から、まず最初に西部で農村義務教育経費保障メカニズム改革が実施されている。国は極めて困難な民族と地区に対して、特別支出金を設置し補助している。例えば、毎年1億2000万元の資金を拠出し、チベットの農牧区の小中学校に対し「食費、寮費、学費無料」の三無料政策をとっている。2008年末現在、民族地区で「両基」の目標を実現した県はすでに674県に達し、全体の96.6%を占めている。

  各民族間の理解や交流を深め、平等、団結、協力、調和のとれた民族関係を発展させ、各民族の共同発展を促進するため、多年来、中国政府は民族地区で「双語」教学を推し進めることに力を入れている。2007年現在、全国の合わせて1万校以上の学校が21民族の29種の文字を用いて「双語」教学を展開しており、在校生は600万人以上に達している。

  国は西部の大学への一対一の支援を展開する、地方と協力して民族地区の大学を共同で構築する、特色のある学科と学位の建設を強化する、学生募集の規模を拡大するなどの措置を通じて、民族地区の大学教育の発展をサポートしている。現在、民族地区にはすでに一般大学が167校あり、大学の専任教師は7万7000人おり、在校生は123万5000人いる。国は民族地区の職業教育の発展を強力に支持している。2008年、中央政府は5自治区に8億2700万元を投入し、県クラスの職業教育センターとモデルとなる中等職業学校を83校、職業学校の実習・訓練基地を145カ所、国際的なモデルとなる高等職業学校を10校建設することを支持した。5自治区の中等職業学校の学生に支給した国家奨学金は9億7400万元に達し、在校生の90%を占める83万人以上を支援した。

  60年の努力を経て、民族地区の教育事業は長足な発展をとげた。2008年末現在、全国各クラス・各種類の学校の少数民族在校生の総数は2199万6000人に達している。そのうち、一般小学校の少数民族在校生は1070万8000人であり、学生総数の10.4%を占める。一般中学・高校の少数民族在校生は680万2000人であり、学生総数の8.5%を占める。一般大学の少数民族在校生は133万9000人で、学生総数の6.2%を占める。少数民族大衆の総体的な文化教養が著しく高められた。2000年の第5回国勢調査によると、朝鮮族、満州族、蒙古族、カザフ族など14少数民族が教育を受ける年数は全国平均レベルより高くなっている。現在、55の少数民族にはいずれにも自民族の大学生がおり、ウイグル族、回族、朝鮮族、ナーシー族など十数の少数民族の1万人当たりの大学生数はすでに全国の平均レベルを超えている。

  少数民族の文化遺産を緊急保護する

  少数民族古典籍の発掘や整理、保護を行うため、国は全国少数民族古典籍整理出版企画グループと弁公室を設立した。2008年末現在、すでに少数民族の古典籍を数百万種収集し、11万余種を整理した。『国家貴重古典籍目録』の第1、第2陣はすでに少数民族古典籍377種を収録し、中国民族図書館などの5機関は第1、第2陣の全国古典籍重点保護部門に組み入れられた。そのうち、ナーシー族のトンパ古典籍文献はすでにユネスコの「世界記憶遺産」リストに組み入れられた。中国政府は専門機構を設けて、「ゲサル」(チベット族)、「ジャンゲル」(蒙古族)、「マナス」(キルギス族)という少数民族の英雄を讃える三大叙事詩に対し、収集・整理・翻訳などにおいて大きな成果を上げた。近年来、国は巨額の資金を拠出し、『中華大蔵経』計150冊の校勘、出版を支援した。

  20世紀50年代から、国は3000余人の専門家と学者を組織して、30年間以上かけて、『中国の少数民族』、『中国少数民族略史叢書』、『中国少数民族言語簡誌叢書』、『中国少数民族自治地方概況叢書』、『中国少数民族社会歴史調査資料叢刊』など5種類の少数民族叢書の編集・出版の作業を完成した。叢書は全403冊、1億余字に達し、計50余万部を発行した。近年来、国はまたこの5種類の少数民族叢書に対し改訂と増刷を行った。20世紀50年代から現在までに、国は民族民間文芸資源に対し大々的な調査、発掘、緊急保護、整理作業を3回組織して展開した。また10余万人を組織し動員し、30年間かけて国家の哲学社会科学計画の重大課題である『十部民族民間文芸集成志書』を完成させ、298巻を出版し、全部で450冊、字数は約5億字にのぼる。その他、国家的な芸術学である少数民族の各種芸術理論著作108種、約2500万字を集め完成させた。

  20世紀80年代以降、国は巨額の資金を投入してチベット・ラサの哲蚌寺(デプン寺)、色拉寺(セラ寺)、甘丹寺(カンデン寺)、青海の塔爾寺(タール寺)、新疆の克孜爾(ギジル)千仏洞など一連の全国重点文物保護単位に対し修繕を行った。1989年から1994年にかけて、国はまた5500万元と1000キロの金、大量の銀などの貴重な物資を拠出し、ポタラ宮に大規模な修復を施した。2001年から、さらに特別支出金3億8000万元を拠出し、ポタラ宮、羅布林卡(ノルブリンカ)、薩迦寺(サキャ寺)の三大文物古跡を修復した。「十一五」時期(2006~
2010年)に国は特別支出金5億7000万元を拠出し、チベットの22の重点文化財の修復・保護に使っている。2005年以来、国は特別支出金4億元を拠出し、「十一五」時期に新疆の20余の全国重点文物保護単位、旧跡に対し保護を実施している。現在、民族自治地方には全国重点文物保護単位が366あり、世界文化遺産としてはラサのポタラ宮歴史建築群と麗江古城の2つがあり、世界自然遺産には九寨溝、黄竜景勝地、三江並流(怒江、瀾滄江、金沙江が合流する一帯の景観)の自然景観の3つがある。

  国は少数民族無形文化遺産の保護を重視している。2002年から現在まで、中央財政が無形文化遺産の保護に投入した経費は累計3億8600万元に達し、その4分の1は民族地区に使われている。国務院が2回公布した国家クラス無形文化遺産リストの1028項目中には、少数民族項目が367あり、全体の35.7%を占めている。55の少数民族にはいずれもリストに組み入れられたものがある。国が公布した3回の国家クラス無形文化遺産の代表的な伝承者1488人のうち、少数民族の伝承者は393人であり、26.4%を占めている。新疆ウイグル族の木卡姆(ムカム)芸術および蒙古族の長調民謡はユネスコの第3陣の「人類の口承および無形遺産の傑作」リストに登録されている。

  少数民族の文化芸術事業を繁栄・発展させる

  20世紀の50年代初め、各民族の役者たちで構成される中央民族歌舞団が成立した。近年来、「万里の辺境文化回廊建設」プロジェクト、「県クラスの図書・文化館」プロジェクト、「郷鎮文化ステーションと村の文化室」プロジェクト、「ラジオテレビ村村通」プロジェクト(全国すべての村でラジオとテレビを視聴可能にするプロジェクト)、「文化情報資源共有プロジェクト」などを通じて、民族地区の公共文化サービスシステムを整備し、少数民族人民の文化生活を改善し、豊かにすることに力を入れている。2008年末までに、全国の民族文化事業機関の数が1万282カ所となった。そのうち、芸術公演団が651、芸術公演の場所が191、図書館が604、大衆芸術館が80、文化館が643、文化ステーションが6859、博物館が240ある。現在、民族地区では10万人当たりの文化機関数が全国の平均レベルを超えている。

  

  国は積極的に少数民族のすぐれた伝統文化を保護している。500年あまりの歴史を持つチべット劇は保護・発揚され、毎年「雪頓祭」(ショトン祭、通称ヨーグルト祭)で、他の歌舞や新劇とともに生き生きと演じられ、雪頓祭をチベット族最大の慶祝のための総合芸術祭に盛り立てている。また、蒙古族の「ナダム祭」、回族、ウイグル族などの「ローズ祭」、「クルバーン祭」、チワン族などの「三月三」祭、タイ族の水かけ祭り、イー族の「火把節」(松明祭)などの伝統的な祭りもしっかり継承し、発揚させている。民族の伝統スポーツも、290余り発掘・収集・整理され、どれも盛んに発展している。チベット族の壁画芸術は引き続き充実し、唐卡(タンカ)芸術は保護され、ウイグル族、蒙古族の絨毯やタペストリーは全国で販売され、プイ族、ミャオ族、ヤオ族、コーラオ族などのろう染め、トゥチャ族、チワン族、タイ族、リー族、トン族などの錦織り技術、デザイン、文様、品種などがすべて大きく発展を遂げている。少数民族の伝統工芸は新たに息を吹き返している。

  少数民族の文芸家が輩出し、文学の創作活動が日増しに盛んになっている。全国の5自治区と雲南、貴州、吉林などの省には24校の大学と中等の芸術学校が設けられ、少数民族の芸術家を専門に養成している。中国作家協会の少数民族会員はすでに10%を超え、600人近くになった。多くの優秀な少数民族文芸家や、少数民族をテーマにした優秀な映画や歌舞が頭角を現し、少数民族歌舞は中国全土いたるところに伝わり、国内外に大きな影響を与えている。法規により4年ごと開催される全国少数民族文芸公演はすでに3回行われ、5年ごとに開催される全国少数民族伝統スポーツ運動会は8回開催された。少数民族をテーマとする優秀な映画・テレビドラマ・文化作品などの「駿馬賞」を定期的に審査し選出する、さまざまな少数民族歌舞コンクールを行う、中央テレビ局の春節聯歓晩会(新年交歓の夕べ)で少数民族の演目を出すなどの活動を通じて、少数民族の文化芸術の優れた創作と各民族の文化交流を推し進めている。

  民族医薬事業の発展を支える

  民族医薬は中華医薬学の宝庫の重要な構成部分である。発掘・整理・研究・普及を経て、中国の55の少数民族中35の民族が自民族の医学資料を発掘・整理し、民族医薬が幅広く開発・活用されている。1992年、国は蒙古薬、チベット薬、ウイグル薬の調剤センターを設立し、伝統医薬を近代的な開発・製造技術と結び付け、十数種の調合薬、百種を数える蒙古薬、チベット薬、ウイグル薬を生産してきた。全国には、県クラス以上の民族医薬研究機関が35カ所あり、研究者は1500人近くいる。国の指導・組織の下で、『中華本草』のチベット、蒙古、ウイグル、タイの4種の民族薬巻が編纂された。全書はチべット薬396種、蒙古薬422種、ウイグル薬423種、タイ薬400種を収録し、高い科学性と権威性を備えている。

  国は民族医薬機構の建設に力を入れている。2008年末現在で、15民族が自民族の医薬を配備した病院を設置し、全国には民族医薬病院が191カ所あり、ベッド数が8694となった。そのうち、チベット医薬病院は70、蒙古医薬病院は51、ウイグル医薬病院は39、タイ族、朝鮮族、チワン族、ミャオ族、ヤオ族などの民族医薬病院は31である。2006年から、国はチベット族、蒙古族、ウイグル族、タイ族、朝鮮族、チワン族、ミャオ族、トゥチャ族の8種の民族医薬を含む10カ所の民族医薬病院の建設に重点を置き、民族医療全体のレベルの引き上げに力を入れて取り組んでいる。

  国は14校の教育機関で民族医薬専門教育を展開し、大々的に民族医薬人材を養成している。そのうち、民族医薬大学は5カ所、中等民族医薬学校は4カ所、民族医薬の専攻学科を設けた非民族医薬大学が5カ所ある。今、全国の民族医薬大学・中等学校に約1万7000人の在校生がおり、卒業生は3964人である。チベット族、蒙古族、ウイグル族、タイ族、朝鮮族、チワン族など6種の民族医師が国家医師資格試験で認定されるようになり、民族医薬専門家が1万人以上となり、各民族の健康レベルの引き上げに重要な役割を果たしている。

  七、少数民族幹部と人材の育成を強化する

  少数民族の幹部や人材は少数民族の中の精鋭である。彼らは自民族の言語、歴史、伝統、風俗習慣を熟知し、地元の政治、経済、文化の特徴などをよく理解し、政府と少数民族大衆との交流において重要な架け橋となっている。少数民族の幹部や人材の状況は、少数民族の発展と進歩を表す重要なメルクマールである。各民族の発展と進歩を促し、民族地区の仕事をりっぱに行い、民族問題を解決するカギは、民族幹部と人材の育成にある。そのため、長年にわたり、国は養成と選抜を長期的、根本的な課題として、たえず強力な措置を講じ、力を入れて取り組んできた。

   

  『憲法』は、民族自治地方が地元の民族の中から大量の各クラスの幹部、さまざまな専門家や技術者を養成することを国が支援し、全国人民代表大会常務委員会の構成員の中に、適当な人数の少数民族代表が含まれるべきであると規定している。『民族区域自治法』は、自治区の主席、自治州の州長、自治県の県長は区域自治を実行する民族の公民が担当すべきであり、民族自治地方の自治機関の所属部門にも、相応の比率で区域自治を実行する民族と他の少数民族のメンバーが含まれるべきであると規定している。『中華人民共和国公務員法』は、民族自治地方で公務員を任用する際には、少数民族の受験生に適当な配慮をすべきであると規定している。

  新中国の成立初期、国は少数民族の幹部を全面的かつ大量に養成すべきであると提案した。そのために、少数民族幹部を専門的に養成する民族学院や大学を創立した。20世紀50年代に、中央民族学院、西北民族学院、西南民族学院、中南民族学院、広西民族学院など10カ所の民族学院が創設された。改革開放以来、国は引き続き湖北民族学院、北方民族大学、大連民族学院などを創設してきた。時代の発展に伴い、これらの民族学院の多くは民族大学に改編され、経営規模とレベルもたえず上昇している。現在のところ全国には15校の一般民族大学がある。そのほかに、国は相次ぎ多くの少数民族幹部育成クラス、幹部学校などを増設し、一般大学にも民族クラスを設け、引き続き少数民族幹部の養成に大きな力を注いでいる。

  国は少数民族幹部の育成と選抜を極めて重視している。民族区域自治地方の少数民族幹部の配置比率は適切な比例に達成し、多くの優秀な少数民族幹部が各クラスの指導的なポジションに就いている。公開の競争形式で幹部を選抜する際、適当な人数とポジションを分けて、特定地域から少数民族幹部を選抜している。国は公務員を採用する際、少数民族の受験生に対し、基準を緩和し、比率確定、特定地域からの募集、一定の点数を加算するなどの優遇策を通じて、一定数の少数民族の受験生を公務員に採用することを確保している。

  国はたえず少数民族幹部の教育と養成を強化している。定期的に少数民族幹部を選び、各クラスの共産党学校や各種の大学に派遣し勉強させ、計画的に少数民族幹部を組織し、沿海の経済発達地区を見学させ、少数民族幹部陣のレベルアップに努めている。2003年から、国の関連部門は「西部の光」訪問学者プログラムを実施している。西部地区からその地区が特に必要とするハイレベル専門技術者を1416人選び、国内の名門大学、科学研究機関、医療衛生機関に送り、1年研修させ、これにより西部の少数民族地区で安心して、仕事を続けられ、需要に応えられるハイレベルの専門技術者がたくさん養成された。そのうち、少数民族地区のために養成されたのは553人で、全体の39.1%を占める。

  国は計画的に幹部交流、職務転換を行い、多くの少数民族幹部を選んで、内地、末端組織、上級機関に出向させて臨時職務を担当させることにより、少数民族幹部を実践の中で成長させている。1990年から、国は西部地区や他の地区の少数民族幹部を選んで中央または国家機関や経済が相対的に発達している地区に派遣して臨時職務に就かせている。この20年内に、一時的に出向した幹部は合計5000人以上に達し、民族地区のために多くの党政リーダーや科学技術者や経済管理のエキスパートを養成し、民族地区の指導グループと幹部陣の構築を大いに推進し、民族地区の経済社会をよりりっぱかつ迅速に発展させている。

  数十年のたゆまぬ努力を経て、少数民族の幹部陣はたえず力強く発展している。2008年末までに、少数民族幹部は290万人を超え、1978年より3倍増えた。全国の公務員のうち、少数民族は9.6%を占め、そのうち県・処クラス以上の少数民族幹部がこのクラスの幹部総数の7.7%を占めている。中央と地方政府の国家権力機関、行政機関、審判機関、検察機関には、相当数の少数民族幹部がいる。現在、13人いる現職の全人代常務委員会の副委員長のうち少数民族は2人で、9人いる現職の国務院副総理、国務委員のうち少数民族は2人、25人いる現職の全国政治協商会議の副主席のうち少数民族は5人である。

  国は民族地区が現代化建設で必要とするさまざまな人材の養成を極めて重視している。国の規定では、大学と中等専門学校が学生を募集する際、少数民族受験生に対しては合格ラインや条件を適当に緩和し、人口の少ない少数民族の受験生に対しては、特別な配慮を行う、としている。こうして毎年、おびただしい数の少数民族受験生が大学の門をくぐっている。さらに民族地区の人材の養成を加速するため、国は内地の重点大学に少数民族予科クラスや民族クラスを設け、現在、毎年募集規模は3万人に達している。1984年、国は北京、天津、成都など内地の大中都市にチベットクラス(学校)を設けることを決定した。この20年余りの間に、中学生、高校生、大学生を合計7万人以上受け入れた。2000年に、国は北京、上海など12の内地の大中都市の13カ所の学校に新疆高校クラスを設けることを決定した。2008年現在、新疆高校クラスは12省(直轄市)の28都市の50カ所の学校まで拡大し、現在までに累計で9期2万4000人の学生を受け入れている。2003年から、国はウルムチなど新疆の8都市が自治区内に中学クラスを開設することを支援している。生徒のうち、少数民族農民・牧民の子女が80%以上を占めている。また2006年から、国は「少数民族ハイレベル中核人材養成計画」を実施している。この計画は特に民族地区から修士、博士の大学院生を募集し養成している。現在まで、同計画は年間の募集数が4700人に達し、在校生は総計7900人余りいる。

  国は大学の卒業生が民族地区で仕事に就くことを奨励・誘導しており、1999年からは国の関係部門が「博士奉仕団」の選抜・派遣を行っている。これは中央国家機関の関係部・委員会または東部の相対的に発達した省・市から相前後して1195人の博士号を取得した優秀な青年科学技術者を選び、西部地区、革命老区(古い革命根処地)、少数民族地区に送り、奉仕活動を行わせることで、西部地区の人的、知的支援を行うものである。そのうち、西部の少数民族地区に派遣されたのは403人で、総人数の33.7%を占める。

  多年来、国はたえずチベット、新疆など民族地区に幹部を選抜して派遣することに力を入れている。これらの辺境地区の開発・建設を支援する幹部や人材は、刻苦奮闘して創業し、自分の利益を顧みずに貢献し、民族地区の発展を促進する上で重要な役割を果たしている。

  結びの言葉

  新中国60年の実践は、中国の民族政策が国情にふさわしく、各民族人民の根本的利益に合致し、各民族人民の支持を得て、正しく、効果があったことを証明している。この政策に導かれて、中国の各民族人民は国家の統一・社会の安定・民族の団結を守り、各民族がともに繁栄発展する光明に満ちた道を切り開いてきた。

  中国は56の民族、13億の人口を有する発展途上の大国であり、特殊な国情が中国自身の発展にアンバランスな一面をもたせることを決定付けている。中国は今後も長期にわたって社会主義初級段階にあり、各民族がともに繁栄発展を実現するには、まだ道のりが遠く、引き続き大きな努力を払わなければならない。

  現在、中国各民族人民は中国共産党の指導の下で、各民族大団結の旗を高く掲げ、またすばらしい局面をいっそう大切にし、力を集中して建設に取り組み、一意専念発展を求め、「小康社会」(ややゆとりの社会)と社会主義現代化を全面的に建設する目標を達成することを加速している。国家が発展し、社会が進歩するにつれ、中国の民族政策はさらに完全なものに至り、各民族人民を含む中華民族は必ずやよりよい未来を迎えるだろう。

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