『新疆生産建設兵団の歴史と発展』白書

出所:中華人民共和国国務院新聞事務室 | | 発表時間:2015-01-05

  『新疆生産建設兵団の歴史と発展』白書

  新疆生産建設兵団の歴史と発展

  (2014年10月)

  中華人民共和国国務院新聞事務室

 前書き

 「屯墾戍辺」は中国数千年において辺境の開発と防衛する歴史的遺産である。中央政府は西部の新疆で大規模に屯墾戍辺をするのは2000年前の西漢から始まり、その後代々を踏襲している。新疆は1949年に平和的に解放され、1954年中央政府は新疆に生産建設兵団を設立することをした。これは中国の国情と新疆の実状に合致する戦略措置であり、新たな歴史条件において歴史経験の継続と発展でもある。

 設立して60年、新疆生産建設兵団は裸一貫から身を起こし、刻苦に奮闘する。国家に与えられた屯墾戍辺の光栄な使命を忠実に履行している。広範な荒地開墾に従事する労働者は風と雨にもかかわらず、辺境に根をおろし、当地の各民族の人々と力を合わして古代のゴビ砂漠をエコロジーのオアシスに改良した。新疆の現代化事業を開創し、規模化した大農業を作り上げた。大規模な鉱業企業を経営し、新型の町を構築した。生産隊、工作隊、戦闘隊の責任は十分果たした。兵団は新疆の発展を推し進め、民族団結を促進し、社会の安定を維持する及び境界を固めることに消せない歴史的貢献を捧げた。

 この新疆生産建設兵団設立60周年にあたり、国際社会に「兵団はどんな役割を果たした、どんな社会組織であるか、兵団人はどんな社会群体であるか」をよく理解してもらえるように白書を発表し、兵団の歴史と発展状況を全面的に紹介する。

 一.建立と発展

 新疆は中国の北西部国境に位置している。新疆生産建設兵団は特別な地理と歴史の下で設立されたものである。

 1949年新疆は平和的に解放された際、当地の経済は農業と畜産を中心とした自然経済であった。生産力のレベルは低く、生産方式は遅れていて、発展は停滞している。人々は貧しい生活をしていた。境界を固め、発展を促進し、新疆当地政府と各民族大衆の経済負担を減少させるため、1950年1月新疆に駐屯する人民解放軍は主な力を生産建設にいれた。その年にほとんどの食料とすべての食用油と野菜を自給自足することが実現した。1953年、新疆軍区は所属する部隊を国防隊と生産隊に分け再編成し、生産隊は军垦農・畜産団場を43個建設し、77.26千ヘクタールの耕地を持っていた。また、工業、交通、建築、商業企業と科技、教育、文化、衛生などの事業機関を作り、その後の生産建設兵団を設立する基礎を打ち立てた。

 1954年10月、中央政府の命令により新疆に駐在している解放軍第二、第六軍の大部分、第五軍の大部分、第二十二兵団の全部はその場で転業し、国防軍隊の序列から離脱することになった。そして「中国人民解放軍新疆軍区生産建設兵団」と形成された。新疆軍区と中国共産党中央新疆分局の二重管理を受け、労と武を結ぶつけ国境を開墾する。そこから、兵団は国営農牧団場の建設を正式化にし始めた。元軍隊の自給性生産から企業化生産へ転換し、正式に国家計画に組み込んだ。当時兵団の総人口は約17.55万人であった。それ以後、全国から大勢の青年、元軍人、知識人、科技人が兵団に参加し、新疆の建設に身を投じた。1956年5月から、兵団は国家農墾部と新疆ウイグル自治区の二重管理を受けるようになった。

 1962年、新疆伊犂と塔城地域に国境線を越える事件が相前後して起きた。国家の手配により、兵団は当地へ1.7万人のリーダーと従業員を派遣した。彼らは当地の社会治安を維持しながら、代耕、代牧、代管を行い、速やかに新疆の伊犂、塔城、阿勒㤗、哈密と博尔塔拉モンゴル自治州など長さ2000メートルもある境界沿線に奥行き10キロから30キロまでの国境团场帯を作った。これは新疆の安定、国家境界安全を維持するにはかけがえのない重要な役割を果たし、国家の北西部境界の戦略態勢の改善に取り組んだことであった。1966年末まで、兵団の総人口は148.54万に達しており、農牧团场を158カ所持っている。

 「文化大革命」(1966-1976年)のうち、兵団の屯墾戍辺事業は深刻な破壊に遭った。1975年3月、兵団の編制は撤回され、新疆ウイグル自治区農業墾植総局が成立し、新疆にあるすべての国営農牧団場の管理を行う。1981年12月、中央政府は兵団の編制を回復した。名称は元の「中国人民解放軍新疆軍区生産建設兵団」から「新疆生産建設兵団」に変えさせた。それで兵団は二次創業が始まった。30年余りの間に、兵団は国有農牧場に対しパッケージ責任制を実施し、従業員の家庭農業を作りあげ、企業経営請負責任制など多種の経済成分を発展した。工業に取り組み、町を建設する。兵団の屯墾戍辺事業は新たな段階に向かって絶え間なく進歩している。

 60年間以来、兵団は屯墾戍辺を使命に「大衆と利益を争わない」の原則を守り、天山の南北にあるゴビ砂漠や人口過疎、環境の劣悪な境界で荒地を開拓し、次次と農牧団地を作っていた。徐々に食品加工、軽工業紡織、鉄鋼、石炭、建材、電力、化学工業、機械などのを含む工業システムを建設し、教育、科学技術、文化、衛生など諸般の社会事業は大きな発展を成し遂げた。2013年末の時点で、兵団に師は14、団は176が所有する。そして、管轄区の面積は7.06万平方キロメートル、耕地面積は1244.77千ヘクタール、総人口は270.14万であり、新疆総人口の11.9%を占める。

 二.職務と体制

 新疆生産建設兵団は新疆ウイグル自治区の重要な構成部分である。兵団は国から屯墾戍辺の職責を引き受け、党政軍企が合一した体制を実行する。自分の所轄開墾地区内で国家と新疆ウイグル自治区の法律規則に従い、自行的に内部の行政、司法事務を管理し、国家で単列した計画を実行し、中央政府と新疆ウイグル自治区の二重管理を受けるような特別な社会組織である。

 「屯墾戍辺」は国家から与えられた職責である。兵団の「屯墾」は現代の農業開発を基礎として、第二、第三産業を大いに発展させ、生態環境の保護と改善に力を入れ、新疆の社会の進歩と国民の団結を促進した。兵団の「戍辺」は国の国境を守る一方、国家の統一と新疆の社会安定も維持しながらテロ勢力の犯罪破壊発動を防止と打撃する。20世紀80年代後、分裂勢力、宗教の極端な勢力や暴力テロ勢力などの「三つの勢力」とその破壊活動は新疆の社会安定に影響を与え、国家の統一を脅かしている。兵団は境界を守備する主な任務を「三つの勢力」の防止と打撃に置いた。

 1990年兵団は中央政府の許可を得て、国家で単列した計画を実行することになった。兵団は引き続き新疆ウイグル自治区の重要な構成部分として、自治区の管理を受けながら、徐々に中央政府の関係部門に管理されるようになった。このような二重管理体制の建立は兵団行政の所属関係上において創造的変革である。中央と自治区は兵団に対した協調管理に有利であり、兵団は各職責の履行にも有利である。兵団と国家機関の各部門の繋がりを

 合理化し、更に兵団事業の発展を推進した。長年にわたり、兵団は公共サービス、公共安全、教科文衛、農林水事務などの分野において中央政府からの政策支援と資金投入を得ている。兵団経済の社会発展に強い活力と新たな生命力を注いた。

 兵団は高度な党政軍企の統一性がある特別な管理体制を実行する。兵団の各レベルにおいて、中国共産党の組織が設置され、兵団の各項事業に対し管理の役割する。そして行政機関と政法機関が備え、自行的に内部行政、司法事務を管理する。兵団は「準軍事実体」であり、軍事政権と武装機構が備えている。兵団、師、団、連などの軍隊編制及ぶ司令員、師長、団長、連長などの軍隊職務名称を踏襲し、主に民兵からなる武装力を育ている。また、兵団は「中国新建集団会社」とも呼ばれている。農業、工業、交通、建築、商業が一体となる経済建設の責任を負う国有大手企業である。兵団の党、政、軍、企という四つの管理機構と四項職能は一体となる。

 兵団は新疆の社会に全面的に溶け込んでいる。所属する師、団場及ぶ企事業機関は新疆ウイグル自治区各地(州)、市、県(市)行政区に分布している。主に兵団による上級から部下まで統一管理と垂直管理を実行し、戦略地位が重要、団場が集中、経済の基礎がいい、発展の潜在力が大きな開墾地区では「師市合一」の新疆ウイグル自治区直轄県級市は7つ「団(場)鎮合一」の建制鎮は5つが設けてあり、兵団による統一した分級管理をする。「師と市」「「団(場)と鎮」の党政機構設置はすべて「1つの機構、2つの札」を実行する。

 三.開発と建設

 兵団の経済建設は新疆ウイグル自治区経済を建設する重要な部分である。長期間に渡って特に改革開放した後、兵団は十分に自身のメリットを発揮し、積極的に市場経済に適応しようとする。経済発展の枠組みと方式を転換し、全力に都市化、新型工業化と農業の近代化建設を推し進め、生態環境の保護に力を入れる。民生の改善、就職の促進、公共サービスと社会保障レベルを高めるなど各事業に目覚ましい業績が上げた。

 絶えずに総合的な経済実力を向上させる。2013年兵団の総生産は1499.87億元に達し、1954年に設立された時点よりも220倍増、年平均成長率は9.6%であった。1981年に兵団は復旧した際より22.9倍に増加し、年平均成長率は10.4%であった。農業の基礎地位を更に強化し、新型工業化のプロセスを加速し、工業は主導産業になり、経済発展における第三次産業の役割はますます顕著になってきた。2013年、三次産業の構造比は29.0:41.8: 29.2であった。

 全力に都市化建設を推し進める。兵団は中央と自治区の統一された管理の下、人口分布と土地の利用空間を重点として、産業分布と都市分布を計画案配する。「師市合一、団鎮合一」の原則と「師建都市、団場建鎮」の構想に従い都市化プロセスの促進に馬力をかける。今まで、兵団はすでに阿拉尔市、鉄門関市、図木舒克市、双河市、五家渠市、石河子市、北屯市など7つの県レベルの市と金银川鎮、草灣湖、桐の鎮、蔡家灣湖、北泉町などの5つの建制镇が建設されている。都市、開墾地区中心町、一般团场町、中心連隊の居住区を発展の枠組みとして新疆都市職責と相補し合い、兵団の特色のある都市体系が初歩的に形成された。都市化率はすでに62.3%に達した。都市部のインフラが大幅に改善され、公共サービス施設も完備されつつである。都市計画、建設、管理とサービスレベルが大幅に向上した。兵団都市は徐々に地域の経済と文化センターになり、人口、資金、産業、人材、文化、教育、医療などの資源の集積地になった。新疆の都市化プロセスを推進した。2000年石河子市は国連に「人間居住環境改善良好範例都市」に選ばれた。2002年「国家園林都市」と正式に命名された。

 全力に新型工業化の建設を推し進める。兵団の工業は農産物加工業から始め、軽工業、紡績を主として、鉄鋼、石炭、建材、電力、化学工業、機械まで多分野の工業システムに形成し、新疆の近代工業の発展の基礎を打ち立てた。21世紀初頭、国家は西部の大開発戦略を実施して以来兵団は新疆の資源と地理的優勢に立脚し、食品医薬、紡織服装、クロールアルカリ化学と石炭化工、特色の鉱物資源の加工、石油天然ガス、化学工業、新型建材と装備製造などの基幹産業が形成された。兵団によって生産した節水灌漑設備、トマト製品、綿スピンドルなどの産量及び規模は全国のトップレベルである。2013年兵団は工業付加価値426.61億元を実現し、前年に比べ27.8%増加した。兵団総生産量の28.5%を占め、工業は兵団の総生産量への寄与率は45.3%に達した。

 全力に農業の近代化建設を推し進める。農業は兵団の基礎産業と優位産業である。兵団は常に農業の近代化を堅持し、高度に先進した技術を導入、吸収、開発と促進する。継続的に大規模化、機械化、現代化国営農場の建設を展開し、新疆の近代的農業を切り開いた。2007年以来、兵団は全国節水灌漑モデル基地、農業機械化推進基地、近代農業のモデル基地などの「三大基地」の建設を全力に推進し、節水灌漑、農業機械と植物育種と栽培、家畜育種と飼育などの先進技術の導入や開発に難関を突破し、そして全新疆で大々的にその応用を推し広めた。科学技術の革新と組織化規模化の利点を頼って兵団の農業近代化建設は顕著な成果を達した。2013年兵団高新節水灌漑は有効灌漑面積の74.4%を占め、総合機械化の水準は92%に達した。農作物の精良と半精良の種まき面積は857.20千ヘクタールであり、土地を測定して施肥する面積は682.33千ヘクタールを超えていた。兵団はすでに国家重要な優質商品棉と特色のある果物生産基地を構築している。コットンの総生産量は146.52万トンに達し、それぞれ新疆と全国コットン総生産量の41.6%と23.2%を占めている。コットンの単産、機械化率、一人当たり占有量は数年間連続で全国のトップである。トマト、赤いナツメ、リンゴ、香梨、ブドウ、クルミ、ラベンダーなどの特色的な農産物がその優位性が形成され、91の農産物は中国と新疆ブランドや著名商標に選ばれた。

 生態文明の建設を強化する。大部分の団場は砂漠の周辺と境界沿線にあり、砂の攻撃に抵抗する新疆オアシスを守る屏風である。長年にわたり、兵団は区域生態環境の建設を目立つ位置に置き大規模な植林、水利工事、風砂防止、塩・アルカリ性土地の改良、節水灌漑を通じて800千ヘクタールの砂漠植生に対する砂を閉じて樹木と草を育てるなどの措置を取っていた。徐々にタクラマカンとグルバンテュンギュト砂漠を囲んでいるグリーン生態ゾーンになった。樹木、潅木、牧草地代が組み合わせた総合的防護林体系に形成され、広大なゴビ砂漠のオアシスでオアシス生態経済ゾーンを造り上げた。スプレー、滴下、マイクロ灌漑や他の節水技術を促進することによって年間の農業節水量は10億立方メートル以上超えた。下流の河川に排出される下水量を増加させ、一部の委縮したひいては涸れた湖は再び蘇え、砂漠周辺の生態環境を改善した。「人は入り、砂は退く」という奇跡を起こした。2013年まで兵団は新しい人工オアシスを約3,000千ヘクタールを造り上げ、森林被覆率は20%に達した。大部分の団場では農地林網化が実現し、80%以上の農地は効果的に林網に保護されている。

 民生の改善に力を入れる。兵団は一貫して民生の保障と改善を最優先に考える。民衆はもっとも関心の持つ、直接に関わり現実的な利益問題を円満に解決する。社会の公平正義を促進し、労働者の福祉を増加しなければならず、より成果が多い、公平的、民衆に利益をもたらせるように発展させる。長年の努力を重ね兵団住民の収入、住宅、社会保障、就職などの民生レベルは相当高めた。2013年兵団都市住民の平均可処分所得は2.31万元、团场農牧工家庭の一人当たり純収入は1.43万元、在職従業員の平均給料は4.40万元であり、ぞれぞれ、前年度に比べ17.8%、18.2%、17.4%増加した。ここ数年兵団は合計347.8億元を民生の改善に投入した。都市の保障住宅を14.3万軒を建て、スラム街を7.2万軒を改造し、農村の住宅プログラムを5.5万軒を完成した。現在まで、70%の労働者大衆は新築住宅に引っ越し、都市部に住む住民は年金保険が全部あるように実現した。基本医療保険に参加する人は226.48万人に達しており、最低限度の生活を保障されている人数は9.4万人、そして20万人以上の人々が医療支援を受けていた。2013年兵団従業員の数は125.34万人、在職労働者は71.11万人、全年度増加した労働者は8.57万人、年末に都市部に登録された失業率は2.55%であった。

 全面的に社会事業の発展を促進する。兵団は幼児教育から大学教育まで完全な教育システムを築きあげた。それによって9年間義務教育を基本的に普及し、靑壮年の文盲をなくすことができた。2013年までに、兵団は普通と成人高等学校7校、中等職業学校24校、普通の中学校243校、小学校55校があり、各民族の在校生は48.13万人がいる。兵団は絶えずに科技事業を発展し、農業開拓科学院など科学研究と技術開発機構が18所があり、各分野の専門技術者は約12万人がいる。各類の重点実験室は14所、企業の技術センターは40所、工程技術研究センターは24所が建てられている。兵団は公共文化サービス体系の建設スピートを加速し劇場、文化館、博物館、図書館(記念)(室)、文化広場などのいくつかの文化活動場所を作った。専門の文芸団体8個、アマチュア文芸団体数百人、ラジオテレビ放送機関197座、サイト66家を持っている。ラジオとテレビのカバレッジ率はそれぞれ97%と98.8%である。公開出版で発行した新聞や雑誌が35種、毎年出版した各種の文化図書は100種類以上がある。兵団は絶えずに医療衛生への投入を拡大し、ほぼ完備された公共衛生サービス体係を作りあげ、医療衛生の条件を改善しつつ、従業員の健康の質量が大幅に向上した。各種類の衛生機関1348、各類の衛生技術者2 . 48万人を持っている。1000人に執業(アシスタント)医師3.18人、公認看護師3.89人がいる。病院の病床数は10床である。2013年人口の死亡率を4.94‰、乳児死亡率は7.56‰、平均寿命は76.79歳であった。

 絶えずに対外開放水準の向上を図る。兵団は農業生産及び農副産品の加工分野の特長を発揮し主に開港口経済と物流産業を発展する。積極的に中央アジア、ヨーロッパなどの国際市場を開拓し、輸出入商品の種類と総量を徐々に拡大した。現在、兵団はすでに5つの国家級経済技術開発区と24の自治区、兵団級園区がある。160以上の国や地域と貿易関係を確立し、20以上の国と地域の間に経済技術協力を展開している。2013年兵団の輸出入総額は115.91億ドル、中には貨物の輸出額は103.7億ドルで、対外請負工事と労務協力の売上高は5.42億ドルであった。

 兵団の諸事業は大きな成果をあげたのは代々兵団の人が「祖国を愛し、無私の献身、ハードワーク、開拓探求」の兵団精神を実践した結果である。60年来、兵団人は珍しい世生存・生産の困難を克服し、辺境に根をおろして国家に奉仕してきた。天山の南北、古来の荒野に人類発展の奇跡を行った。兵団の発展は中央政府、新疆ウイグル自治区と全国各省市長の長期にわたった支援の下で実現されたものである。ここ数年間、中央政府は兵団に入れる力をだんだん強めてきた。2010年には「自治区や困難地域を対象とする支持政策は所在地にある兵団や師団場にも適応する」と政府は明確に提出した。新疆ウイグル自治区は兵団に土地、草地や水利資源、鉱山資源を分け与え、機械設備を販売し、兵団に適応する政策を導入する。直接に兵団の開発と建設をサポートし、兵団と地方経済の相和す発展を促進した。全国ほかの各省市も兵団に相応する方式で大量な資金、技術と人材応援を提供し、兵団の経済社会発展に重要な役割を果たした。

 四.戍辺の安定維持と民族の団結を促進する

 新疆の陸地境線が長くて、国境守備は国が兵団に与えた重要な職責である。兵団は始めから高度的且つ組織化した準軍事力である。数年間にわたって、兵団は「兵でもあり民でもある、労働と武装を結合する、兵民合一」を堅持し、十分な数がある、素質が高い民兵武装力量と兵団武警部隊がある。片手に銃、片手に鍬を持つようにすれば、軍隊や武警と各民族の大衆と連合しながら辺境安全を守る体系を作り上げる。国家統一と新疆社会安定の維持、テロ暴力犯罪の打撃活動に特殊作用を発揮する。

 兵団の辺境団場は戍辺の重要な力である。兵団は辺境団場に対し団場は総合的、連隊は部分的、民兵は具体的に生産及び国境を守備するダブル請負責任制度を実行する。兵団は当直で、そして民兵連隊、駐屯軍、武警と地方民兵が四位一体の軍民防衛のメカニズムを実施し、力を合わせて国家の国境安全を維持する。国家の戦略部署によると兵団は絶えずに辺境団場を建設しなければならない。2000年から、兵団は辺境団場で危険住宅や中古住宅の改造、飲用水、交通、文化、看病、テレビ放送、環境衛生などを重点とする「プノンペン工事」が行われている。地域の利点を発揮しながら対外開放を実施する。地域の外国貿易、文化交流の協力を展開することを通して、従業員の生活レベルを改善し、辺境団場の凝集力、吸引力を強めた。そして、辺境团场戍辺の総合的実力も向上させた。

 新疆の安定を維持するのは兵団の重要な職責であり、長期な安定性達成するために現実的な需要である。20世紀80年代以来、「三つの勢力」の破壊活動は新疆の社会安定にもたらした危害はますます顕著になった。このような状況に鑑みて、統一された手配によれば兵団が所属する師、団、連と企事業機関は各種の緊急暴力テロ事件に対応できるように緊急時民兵営、連、排を設置した。テロとの闘いにおける兵団は特別な役割を果たした。特に、1990年アクト県バーレン郷「4•5」事件と1997グルジャ「2.5」事件が起きた後、兵団の民兵は周り状況に詳しいなどの利点を利用し、素早く反応し、迅速に出撃した。武装警察部隊と各民族大衆を連動しながら、共同で暴力テロ犯罪を打撃し、社会の安定を守ることができた。2009年ウルムチ「7・5」事件が起きた後、兵団は急速に勤務、パトロールや重点目標の守備任務を配置した。現在、兵団は全国一流の民兵を建築し、生産、訓練、執務や応急が一体となる民兵常態化当番訓練備勤メカニズムの建設に力を尽くしている。

 新疆は多民族地区であり、民族団結は国家統一と新疆社会安定の最も長期的且つ根本的な問題である。兵団は新疆の社会に溶け込み、長期的に地方の各民族と隣り合わせ、仲が

 睦まじく、助け合っている。各民族の相互的往来・交流・溶け合うような「組み込み式」社会発展モードに構成されている。辺境の同守、資源の共有、優勢相互補完、共同繁栄が遂げた。60年来兵団は新疆各民族大衆にサービスを提供する旨を堅持し、積極的に地方の建設を支援し、着実に各民族大衆の用事を対応する。医療機構は長年にわたって医療チームを地方の農村、牧場に行かせ巡回医療を行い、病気の予防と治療をする。そして、医者を派遣し、医薬品を提供している。兵団は各民族大衆の利益を配慮し、さまざまな水利、道路工事を行う際、兵と民の双方に利益を齎すような「两利工事」にさせる。20世紀の50年代、新疆の工業発展を支持するため、すでに作り上げたいくつかの工業・交通・建設・商業企業を無償に地方に委譲した。60年代の半ば頃、兵団は毎年800万元の特別資金を出金し兵団の農地計画建設に支えていた。80年代初め兵団が回復した後、カシュガル、タルバガタイ地区の耕地と水利事業に5年間連続で9000万元を投資した。そして地方と共同に文明単位を400以上建設した。90年代以来、地方で「バイリンガル」幼稚園と「バイリンガル」学校作りに協力し、バイリンガル教師を育成した。1999年から14年連続で北疆7師の52団場で、新疆ウイグル自治区4地州32の県(市)が15陣の2156名基層少数民族幹部を鍛える場所を設けていた。21世紀に入ってから、兵団と地方は主に融合した経済を発展し、経済共同体を87、協力プロジェクトを200余り作り上げた。そして兵団は常に多くの科学技術者を派遣し、地方で栽培、養殖、農業機械などの各類の養成クラスを設け、各民族の農遊牧民に各類の先進技術を伝授・普及させた。相互に支援し合い、統合的に発展することによって各民族の接触・交流・融合を促進した。

 兵団には漢、ウイグル、カザフ、ホイ、モンゴル、シボ族、ロシア、タジキスタン、満州など37の民族があり、少数民族人口数は37.54万人に達し、総人口の13.9%を占めている。少数民族の集中に住む団場は37カ所がある。団場は少数民族の集中団場を早く発展することを民生の改善にはもっとも重要な内容とし、政策支持と貧困緩和の開発を推進する。近年、兵団は総投資額は10.8億元で少数民族の集中に住む団場の建設プロジェクト114件を実施し、中には都市インフラ建設、安居プロジェクト、施設農業、牧畜養殖業など多くの分野が含まれている。2012年、兵団37の少数民族の团场は111.03億元の総生産を実現し、前年より42.8%増加、兵団の平均レベルより24.4ポイントアップした。

 兵団は全面的に国家の民族宗教政策を貫き、宗教の調和を促進し、少数民族の習慣を尊重して保護する。調和の取れた民族発展、文化の共同的な繁栄、民族の相互的な尊重を提唱する。多民族集落の状況の下で、兵団は前進した文化を広め、中華文化を発揚、絶えずに新疆の民族文化を受け入れるなど、新疆の地域において統合された中華民族文化発展を促進する基礎が備えた。兵団で文化の相互的な交流を通じて各民族メンバー間の理解と認識を更に深め、新疆中華民族先進文化の建設を促進し、国境地区の中華民族凝集力をわき立たせた。

 時間が経つにつれて兵団は普通ではない60年間を歩んできた。

 現在、中国各民族の人々は中華民族の偉大な復興を実現する「中国の夢」のために努力している。新疆は社会安定と長期安定性を実現する肝心な期間にあり、兵団の発展と拡大を支援することは中央政府の一貫した方針であり、兵団の維穏守備する特殊な役割を果たせるのは国家の長期的計画である。新しい情勢の下で、兵団の建設を弱めるどころか強化せねばならない。

 兵団はまさに歴史の新しい起点にあり、前例のない機会に直面している。新たな歴史時期において、兵団は各民族の大衆を凝集し国境安定に重要な役割を果たし、先進した生産力と文化の集まるモデル区として実力を拡大し、「兵地融合」の発展を深め、新疆の社会安定と長期安定性の総目標に焦点を当て、中央政府に与えられた職責をよりよく実行する。

 中央政府の強力なリーダーシップとサポート、全国人民の支援、新疆ウイグル自治区と各民族人民の応援、60年間に打ち立てた基礎をしっかり持ちながら、兵団の明日はきっともっと美しくなると強く信じている。

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